大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和35年(刑わ)5562号 判決

本籍

愛知県江南市大字古知野字古渡二三番地

住居

東京都新宿区舟町六番地の五

会社役員

鈴木一弘

大正六年一〇月六日生

本籍

山口県宇部市大字西岐波一四六五番地

住居

東京都杉並区下高井戸四丁目九四三番地

会社役員

基嗣こと小倉寿夫

明治四五年二月四日生

本籍

東京都千代田区神田鍛冶町二丁目八番地六

住居

東京都新宿区荒木町三番地

会社役員

福川一郎

大正一五年八月二六日生

本店所在地

東京都新宿区左門町一三番地

房総観光産業株式会社

(右代表者代表取締役 鈴木一弘)

右鈴木一弘に対する恐喝、同未遂、法人税法違反、小倉寿夫に対する恐喝、福川一郎に対する恐喝、同未遂、房総観光産業株式会社に対する法人税法違反各被告事件につき、当裁判所は検察官品田賢治出席のうえ審理し、つぎのとおり判決する。

主文

被告人鈴木一弘を懲役三年に、

被告人基嗣こと小倉寿夫および同福川一郎を各懲役一年に、

被告房総観光産業株式会社を罰金一、〇〇〇万円に、それぞれ処する。

被告人小倉寿夫および同福川一郎に対し、この裁判確定の日から三年間それぞれの刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、証人後藤顕義(昭和三六年一〇月一二日および同年一二月八日に各支給した二回分以下括弧内に年月日の数字および回数のみを表示する)、同小島孝三(三六、一〇、一三および三六、一二、八の二回分)、同山口昇(三七、一、一九の一回分)、同南部庄一郎(右小島に同じ)、同真野雅彦(三六、一〇、一四および三六、一二、八の二回分)、同佐久間康之(三七、六、二二および三七、七、一一の二回分)、同松木正二(右佐久間に同じ)、同青木賢三(三九、四、一四の一回分)、同芝田健次郎(三九、四、一五の一回分)、および同磯部清(右芝田に同じ)に各支給した分は被告人鈴木の単独負担とし証人本田武(三七、九、一一および三七、九、一三の二回分)、同高畠佳次(三九、三、三の一回分)、同塩原清(右高畠に同じ)、同陶山重美(三九、三、四および三九、五、二九の二回分)および同内田義房(三九、三、五および三九、五、二九の二回分)に各支給した分は被告人鈴木、同福川の連帯負担とし、証人星住鹿次郎(三七、三、二三の一回分)、同中井一郎(三七、三、二三、三七、五、二二および同、同、二三の三回分)、同田辺友和(三八、五、二九および三八、六、一三の二回分)、同井上勲(三八、五、二九および三八、六、一四の二回分)、同土居四郎(三八、五、三〇および三八、六、一三の二回分)、同渡辺哲彬(三八、五、三〇および三八、六、一四の二回分)、同植村正一(三八、五、三〇の一回分)、同大塚哲夫(三八、六、一二および三八、一〇、一六の二回分)、同武村富治夫(三八、六、一二の一回分)、同明翫外治(三八、六、一三および三八、一二、一八の二回分)、同大森健治(三八、九、一八の一回分)、同大森広作(三八、九、一八および三八、一一、二七の二回分)、同大谷泰三(三八、九、一八の一回分)、同判田保克(三九、六、二五の一回分)、同菱沼一雄(三九、九、一七の一回分)、同浅川雅通(三九、六、二六および三九、九、一六の二回分)、同浅野栄吉(四〇、四、二一および三九、九、一七の二回分)、同岡安賢次(三九、六、二三の一回分)、同尾上春風(三九、七、一六の一回分)および同小寺正男(四〇、一、二一および同、同、二二の二回分)に各支給した分は被告人鈴木、同小倉および同福川三名の連帯負担とし、証人岸野武男(四〇、一〇、五および四〇、一一、一〇の二回分)、同吉田敬作(四〇、一〇、五および四〇、一一、九の二回分)、同志賀正好(四〇、一〇、二八および四〇、一一、二九の二回分)、同鷹野千里(四〇、一〇、二八および四〇、一二、八の二回分)、同外山登美男(四〇、一一、九および四一、一、一七の二回分)、同大塚信嘉(四〇、一二、八および四一、一、一七の二回分)、同大田義明(四〇、一二、九の一回分)、同守屋東太郎(右大田に同じ)、同土屋政芳(四〇、一二、二〇、四一、一、一八および同、二、二四の三回分)、同前島豊純(四一、一、一四の一回分)、同北橋亮二(四一、一、一八および四一、二、一五の二回分)および同岡安賢次(四〇、二、二四の一回分)に各支給した分は被告人鈴木および被告会社房総観光産業株式会社の連帯負担とする。

昭和三十五年十二月二十日付起訴状記載の公訴事実中、第三(第一電工関係)、第四(日曹製鋼関係)、第五(野崎産業関係)、第八(帝国ピストン関係)、第十一(愛知機械関係)および第十二(新光製糖関係)につき被告人鈴木、同第六(浅野物産関係)、第十六(フジ製糖関係)ならびに第十七(東洋リノリユーム関係)につき被告人鈴木および同小倉はそれぞれ無罪。

理由

第一、公訴棄却の主張による判断

被告人鈴木一弘、同小倉寿夫、同福川一郎の弁護人等は、被告人等に対する昭和三五年一二月一二日付および同月二〇日付各起訴状公訴事実の各冒頭記載部分は、いずれも訴因以外の余事を記載したものであって、これは裁判官に予断を抱かせる虞れのあることが明らかであるから刑訴法第二五六条第六項に違反し同法第三三八条第四項により右各公訴は棄却されるべきである旨主張する。

右各起訴状には、それぞれ公訴事実冒頭に「被告人鈴木一弘、同小倉寿夫、同福川一郎は特定会社の株券を大量に買集めて株価をつり上げたうえ、同株券の大量の所有者であることを利用し、右株券発行会社の経営者あるいは同社関係先に対し、その買集めた株券を高価に売付けて利を図ることを反覆しているものである」旨の記載があり、右記載は被告人らにおいてその記載のような形態による株式売買を行う前歴、習癖を有する旨の記載と解せられこれは右記載中「利を図ることを反覆しているもの」との部分が「利を図っているもの」と訂正されたことによっても何等変るものではないことは弁護人等の指摘するとおりである。

しかしながら公訴事実の記載が裁判官に予断を抱かせる虞れのある余事記載にあたるかどうかは抽象的に決められるべきではなく具体的事案に即して判断されなければならないものであるところ、まず昭和三五年一二月一二日付本起訴状公訴事実を検討するに、本件は被告人等が特定会社の株式を大量に買集めたうえ、会社経営者に対し大株主としての権利行使に籍口した嫌がらせによって、会社経営者を困惑畏怖させて、その持株を買取らせたというもので、結局右冒頭記載は被告人等においてその記載のような形態による株式売買を行ない、これが新聞雑誌、証券業界の噂などにより著名となったことから、自己等のそのような勢威を背景とし、これを利用することによって本件所為に及んだものとする趣旨に解せられるから、右記載は公訴事実と密接な関連をもつ事実として許されるものというべきである。

そしてこのことは同月二〇日付追起訴状の公訴事実の冒頭記載部分についても同様である。

(なお被告人小倉、同福川については、同被告人等の所為が公訴事実中の一部にとどまりとくにその前半の部分には関与しなかったことから、冒頭における右のような記載は必ずしも妥当であるとは言えないが、同被告人等は被告人鈴木と共謀のうえその所為に出たというのであるから、これはその関係を総括した便宜的記載と解せられる。)

それ故各起訴状公訴事実中冒頭記載の部分には必ずしも妥当であるとは言えないものがあるけれども、いまだ裁判官に予断を抱かせる虞れのある余事記載とまでは認められるものでないと解せられるから弁護人等の右主張は採用しない。

第二、総論

一、被告人等の経歴と身分関係

(被告人鈴木一弘)

被告人鈴木は、昭和一〇年ごろ郷里の滝実業学校を中退し、鉄鋼商・鉄鋼所の経営などにあたり、第二次大戦中は軍需省航空兵器総局の嘱託として同省に鉄鋼品を納入したりしていたが、終戦後名古屋において鉄鋼品の製造販売、陶器・楽器・自動車用部品の製造など手広く事業を営み新興勢力として中京財界に抬頭した。その間無尽会社にも関与し無尽業界、すなわち後の相互銀行業界とも関係をもつようになっていたところ、昭和二五年上京してまず合成繊維漁網の販売を手始めに不動産業、金融業などを営んでいるうち、百貨店白木屋(当時の代表取締役社長鏡山忠男)の経営権獲得をめぐって同百貨店経営者(いわゆる鏡山派)と横井英樹(いわゆる横井派)との間に熾烈な争いが展開されたいわゆる白木屋事件に横井派として関与した。同事件が落着した後の昭和三三年七月後記房総観光産業株式会社(以下単に房総観光と略称する。)の代表取締役社長に就任し、同会社の業務全般を統括主宰するとともに、流山電気鉄道株式会社外数社の傘下会社の役員を兼ねていたものである。

(被告人小倉寿夫)

被告人小倉は、昭和六年ごろ、旧東京商大(現在の一ツ橋大学)を病気のため中退しその後内務省、電力会社などに勤め、終戦後は鉱山経営にあたっていたが、昭和三三年一〇月ごろ知人の紹介で被告人鈴木と相識り、同三四年四月ごろ被告人鈴木の経営する房総観光の取締役に就任してしばらくは新潟市郊外の蓮潟、鳥屋野潟の埋立工事の企画立案に携っていたが同年七月同会社の常務取締役経理部長となったほか、被告人鈴木の傘下数社の役員をも兼任するにいたっていたものである。

(被告人福川一郎)

被告人福川は、戦前海軍通信学校を卒業し、軍隊生海に入り、昭和二四年一〇月復員してから、区役所の吏員、印刷所の手伝いなどをしていたが、昭和三一年六月株式会社東京商工興信所の調査員となり、まもなく同僚の小寺正男、荒木新九郎らと共に東洋経済興信所を始めたところ、たまたま被告人鈴木と面識を得て、同三年一〇月被告人鈴木の援助の下に設立された株式会社東洋経済興信所の取締役に就任することとなり、爾来被告人鈴木の依頼を受け企業調査に従事することが多くなり、次第に被告人鈴木との関係を深め、昭和三五年二月からは正式に房総観光の秘書課長に就任して専ら被告人鈴木の仕事に携わるようになっていたものである。

二、房総観光の事業

1. 房総観光の設立と発展

房総観光は昭和三三年五月、さきに可鍛鋳物の製造を目的とし資本金一、〇〇〇万円をもって設立された東京鋳物株式会社の商号、営業目的等を変更した会社であって主に千葉県館山市所在の温泉旅館の経営をしていたが、同三三年七月被告人鈴木が同会社代表取締役社長に就任するや、本店を東京都新宿区舟町六番地の五に移し(昭和三五年一〇月一五日ごろ、さらに同区左門町一三番地に移転)、営業目的も当初の目的にスキーリフト、ロープウエーの架設ならびに経営、不動産売買、土木建築等を加え、資本金も度重なる増資により昭和三五年一一月当時には二億円に達し、新潟支社、妙高営業所を中心に蓮潟および鳥屋野潟の埋立による宅地造成、妙高高原スキー場開発を行なうなど活発な営業活動を続けていた。同会社は資本金は勿論、その事業資金等すべて被告人鈴木により賄われ、同被告人の個人的色彩のきわめて濃厚な会社であった。

2. 房総観光の事業内容

房総観光の主な事業は、新潟県中頸城郡所在の妙高高原スキー場の開発ならびに新潟市郊外の蓮潟および鳥屋野潟の埋立による宅地造成であって、まず妙高高原スキー場開発事業については、昭和三三年ごろからスキーリフト、ヒュッテの建設を始め、昭和三四年一二月までにはスキーリフト計四基、ヒュッテ一棟がそれぞれ完成して、運転、経営の運びにいたっており、さらに同三五年五月ごろからスキーリフト二基、ヒュッテ一棟の建設を進め、同三五年一一月までにはこれらの建設資金として約一億五、〇〇〇万円ないし二億円が投入された。また前記蓮潟および鳥屋野潟の埋立による宅地造成事業は、昭和三四年四月ごろからまず蓮潟四万坪の埋立工事が始められることとなったが、土地買収、漁業権補償の折衝等に日時を費やし、ようやく同年暮ごろから埋立工事が始められ、翌三五年一一月までには、ほぼその埋立を終っていたが、その頃までに約三億円ないし四億円に上る資金が投ぜられていた。

ところで、右各事業の遂行のためには前記のように厖大な資金が必要であったが、右のうち妙高高原のスキーリフトの運転ならびにヒュッテの経営によって年間約一、〇〇〇万円ないし二、〇〇〇万円の収入がもたらされていた。しかしこれとても金利負担などを見込めば実質上の収益となるにいたらず、結局当時房総観光においては全事業につきいまだ資金投下の段階にあった。

その他房総観光においては、静岡県伊東市に土地を所有するなど幾多の事業計画があり、その準備もすすめられてはいたけれども、前記二事業に比べ、見るべきものはなかった。

三、被告人鈴木一弘その他の事業等

ところで被告人鈴木は房総観光を主宰するほか、自らの事業遂行に利用するためつぎつぎに各種会社の設立を図り、あるいは既存の会社を買収して自己の傘下に収めたのであるが、その主要なものはつぎのとおりである。

(株式会社東洋経済興信所)

被告人鈴木はかねてから事業遂行上全幅の信頼を寄せ得る調査機関を欲していたところ、たまたま被告人福川を知り、同被告人ならびにその紹介を受けて知った小寺正男にその意を打明けて同人らの替同を得、昭和三三年九月、さきに自ら経営していた企業開発株式会社(資本金八〇万円)の商号、営業目的等を変更して本店を同都港区芝田村町一丁目一二番地徳栄ビルにおき信用調査を営業目的とする株式会社東洋経済興信所を発足させるにいたり、自らも取締役に名を列ねていた。

それ以来被告人鈴木は自らの事業活動にあたり同興信所を利用し、とくに後に述べる各種会社の株式買付けを行なう際には同興信所の活躍に負うところが大きかった。

(有限会社三協商事-後に株式会社三協通信社と改称)

被告人鈴木はかねてから出版業に興味を持ち独自の出版機関の必要を感じていたところ、東海PR社の編集長などをしていた由良猛を知り、同人に勧めて昭和三四年九月ごろ当時休眠会社であった有限会社三協商事を改組し、かつ増資するなどして出版業にあたらせることとなり、同会社は同年一〇月ごろから月刊政経批判雑誌「ザ・クェッション」を発行したが、その経営は被告人鈴木の後楯によるものであったから、事実上同被告人の意に副う編集がなされ、同被告人および同被告人の営なむ事業の宣伝が中心であったということができる。

(カネ一証券株式会社およびカネ三証券株式会社)

被告人鈴木は房総観光に拠って前記各事業を営なむ一方、その事業の一環として後に述べる株式の取引を行なっていたが、はじめは東京、名古屋、大阪の各証券業者を通じて買いおよび売りの各注文を行なっていたところ、まず昭和三四年一一月ごろさきに山一証券の外務員として取引のあった浅川雅通に資金を貸付けて非会員のカネ一証券株式会社を設立させ、翌三五年一月正式に認可を受け営業をはじめてからは、東京証券市場における株式の取引については専ら同証券を利用するようになった。

その後昭和三五年五月ごろ大阪に非会員のカネ三証券株式会社(資本金一、〇〇〇万円)を設立し、さきに日昌証券の外務員として同被告人と取引があり当時房総観光の大阪支社長として引き続き株式の売買に従事していた浅野栄吉に同会社の経営を委ねることとなり、同年九月正式に認可を受け営業をはじめてからは、関西方面の証券市場における株式の取引は専ら右会社を利用して行なうようになり、かくして被告人鈴木は東西証券市場に自らの勢力の及ぶ証券業者を持ち、株式取引の面における態勢をますます整備するにいたった。

(その他)

被告人鈴木は、以前から啓東物産株式会社、東邦株式会社など十指に上る会社(資本金四、〇〇〇万円ないし三〇〇万円)を設立し、あるいは既存の会社の過半数の株式を買集め、いずれもその傘下に収めたが、当時流山電気鉄道株式会社を除いては、いずれもその活動を停止した休眠会社であって、被告人鈴木が房総観光を中心とする事業を遂行するため金融機関から貸付けを受ける際その名義を利用するにすぎなかった。

四、被告人鈴木のいわゆる集中投資方式(以下単に集中投資方式という)

(その発案と採用)

房総観光の事業は前記のように主として妙高高原のスキー場の開発ならびに蓮潟、鳥屋野潟の埋立による宅地造成であり、いずれも長期かつ厖大な建設資金が見込まれたのであるが、房総観光は設立後日が浅く実績も乏しかったので、その必要とする資金を普通銀行はじめ長期かつ大口の融資を取扱う金融機関にもとめることは期待できず、わずかに被告人鈴木の個人的信用にもとづく平和相互銀行を中心とする各相互銀行からの短期貸付けにたよらざるを得ない状態であった。

そこで被告人鈴木は右事業資金捻出の方法について考慮のうえ、過去の株式取引の経験に鑑み、当時好況にあった株式市況とにらみあわせ短期かつ確実に利得を得る方法として、少数の株式銘柄に大量の資金を投じたうえこれを処分するいわゆる集中投資方式を発案し、静岡相互銀行の株式等を処分することによりかなりまとまった金員を手にした昭和三四年春、まず愛知トヨタ自動車株式会社の株式をてがけ、爾来引きつゞき、この方式を採用することとなった。

(実態)

右にいう集中投資方式は、多数の株式銘柄に資金を分散して投ずることにより危険負担を軽減しながら利益を得ようとする、いわば分散投資方式に比較した意味に用いられ、世上いわゆる「買占め」の形態に属し、ことさら目新しいものとはいえない。

ところで世上いわゆる「買占め」(ここではとくに株式の買占めに限定して用いる。以下同じ。)には格別の定義はないが、特定人または特定法人がある特定の銘柄の株式を過当と認められる程度に大量に取得することであって、過当と認められるかどうかはその具体的状況に応じて決められるべきものであるということができる。

そして「買占め」の態様も単純かつ劃一ではなく、経済情勢の複雑化につれ多岐多様な様相を呈しているが、その意図目的によって大別すれば、まず企業の経営権の獲得または経営権への参画等経営権に主眼を置くものと、株式の処分による利得に着目するものとに分かれ、前者はいわゆる「乗っ取り」がその典型であるが、後者はさらに市場における通常の売却によって株式の処分を行う方法によるものと当該会社あるいはその関係先に一括買取らせて処分する方法(通常「肩代り」の言葉が用いられる。)によるものとに分けられる。

被告人鈴木の右集中投資方式は、さきに述べたその採用の目的、房総観光における資金繰り等の諸点に照らして、まず第一に前記一括肩代りの方法によって利得をうることを意図したものと認められるが、しかしそれはあくまでも第一次的目的であるにとどまり、唯一絶対のものではなく、当該会社経営陣の態度あるいは株式市況等客観状勢の変化につれ、場合によっては市場における通常の処分方法により目的を達し得るものであり、また事案の推移いかんでは経営権の獲得または経営参加を志向しまたはこれを余儀なくされることも予想されるところであって、融通性のある弾力的な性質を有するものと認められる。

第三、各論(1)(恐喝関係)

一、愛知トヨタ自動車株式会社関係

1. 犯行にいたるまでの経緯

被告人鈴木は前記集中投資方式を実施するにあたり、最高度にその効果を発揮させるため、買付株式銘柄を選定するにつき、

(イ)、最終利回りが年八分以上であり、

(ロ)、資産内容が良好なのに株価がこれに即応せず低位にあって、かつ

(ハ)、過少資本(せいぜい一〇億円以下にとどまるもの)で浮動株も適度である。

ものなどの一般的基準を設けて、証券関係出版物、東洋経済興信所の調査等により手元に収集した各種の資料を分析し検討を加えまずかって自己の経済活動の本拠であった名古屋市場に買付銘柄を求めていたところ、名古屋市昭和区東郊通九丁目一五番地に本店を置き自動車、同部分品類の販売・修理等を営業目的とする愛知トヨタ自動車株式会社(以下単に愛知トヨタまたは会社と略称する。)が当時二億円の資本金であったにすぎないばかりか、前記各基準に照らし格好の銘柄であると判断し、昭和三四年三月ごろ、その株価が一四〇円台の時期から同会社の株式の買集めを始め、同年三月三〇日五、〇〇〇株翌三一日一万九、〇〇〇株とその取得した一部の株式につきいずれも鈴木一弘名義に名義書換手続の請求を行ない、引き続き同会社株式を買付けていたところ、被告人鈴木の買集めの事実を知ってその意図を探るため同年四月二八日、当時東京都新宿区舟町六番地の五にあった被告人鈴木の事務所を訪れた愛知トヨタの代表取締役社長山口昇に対し、自己の買付け目的は株価の値上りによる利益の獲得にあって経営参加の意図はなく、かつ株価の不当なつり上げはしない旨述べた後、倍額増資が適当である旨申し入れて、これに対する会社側の意見をただしたが、同被告人は右面談の後からますます同会社の株式を買集めたため、その株価は連日高騰を続けて名古屋証券市場の注目を引き、かつ地元の新聞の証券欄を賑わせるにいたった。

2. 罪となる事実

被告人鈴木は右状況を知ってもしこのまま買集めを続ければ、その株価はますます高騰して反響が高まり、その結果かえって名古屋市場における自己の今後の活動に支障となることを慮って、この際同会社側の困惑に乗じて自己の持株を買取らせるのが得策であると思うにいたり、同年五月八日まず前記山口に面談を求めて、名古屋市中区栄町四丁目一番地所在株式会社観光ホテル丸栄において、同人に対し、すでに三、四十万株を取得したと誇示しかつ、再び増資の問題に言及して、会社側の態度の決定を促したうえ翌九日、前記丸栄において山口に対し「自分は在所を荒す気持は毛頭ないが、こうなった以上は仕方がない。単価二〇〇円で引取ってもらおう。」との趣旨を申し向け、もし右要求に応じないときにはさらに買集めを続け、大株主としての権利行使に藉口する倍額増資等の発言などを通じての嫌がらせを繰り返すかも知れない旨暗示した。

そこで右山口は、さきに被告人鈴木の言葉から、その目的は株価の値上りによる利益の獲得にあり、倍額増資を申し入れるのもその手段に他ならないと一度は安堵したものの、その後被告人の言葉とうらはらに株価が連日高騰を続けたため被告人の真意に疑いを抱いて不安となり、結局は被告人の持株を買取らざるを得ないものと思うにいたっていた折とて、もし被告人の右要求に応じないときは、買集めが引き続いて行われて株価が不当に高騰し、その結果今後証券市場における会社の信用を損うばかりでなく、被告人鈴木から来たるべき株主総会において倍額増資を強硬に主張されたりするなど株主総会の運営上どのような嫌がらせをされるかも知れない旨困惑畏怖して、即時同被告人の持株全部を単価二〇〇円の割合いで買取ることを承諾し、その結果被告人鈴木は、同月一一日同市中区南伊勢町一丁目四番地所在とみや証券株式会社において、同会社を介し、愛知トヨタ経理部長南部庄一郎から、同会社株式二〇万二、〇〇〇株の売買名下に現金四、〇四〇万円の交付を受けてこれを喝取し、

二、東都水産株式会社関係

1. 犯行にいたるまでの経緯

被告人鈴木は前同様集中投資方式をとるにふさわしい株式銘柄を求めていたところ、東京都中央区築地五丁目一番地に本店を置き生鮮ならびに加工水産物の受託および買付販売等を営業目的とする東都水産株式会社(以下単に東都水産または会社と略称する。)が、当時資本金二億四、五〇〇万円にすぎないほか、前記各基準に照らし格好の銘柄であると判断し、昭和三四年五月中旬ごろ、その株価が七〇円台の時期から同会社株式の買集めを始め、同年六月初めまでに相当多量の同社株式を取得し、なおも買集めを続けていたためその株価も次第に上昇の一途をたどっていた。

2. 罪となる事実

そこで被告人鈴木はその取得した同社株式の処分方法としてはこの際前記愛知トヨタ同様会社側の畏怖心を利用して、これを買取らせるのが、利益を上げるのに最も得策であると思うにいたり、頃合いを見計らってまず同月四日午後三時ごろ房総観光社員の岡安賢次に指示してすでに取得した株券の一部一万株を東都水産本店総務部株式課に持込ませ、うち七、五〇〇株を鈴木一弘名義に、二、五〇〇株を鈴木一弘方藤原満外二四名名義に各一〇〇株ずつとする名義書換手続を即日行なうよう申し入れさせ、さらに翌五日午後三時半ごろ右岡安と共に被告人自ら前記株式課に赴き、持参した同社株券七万七、〇〇〇株の内、二万九、五〇〇株を鈴木一弘名義に、四万七、五〇〇株については一部五〇〇株券を一〇〇株券に分割したうえ、鈴木一弘方天野英一外四七四名名義に各一〇〇株ずつとする名義書換手続を明日中にやって欲しい旨申し入れ、応待に出た株式課員佐久間康之から二、三日の猶予を求められたにもかかわらず、「これを名義書換すれば八万株以上の大株主になる。夜中でも取りに来るから明日中にやってもらいたい。」旨強く要求し、かつ翌六日には午前中にすませてもらいたい旨ふたたびその書換手続の促進を迫ったうえ、「株式課は株主の便宜をはかるところだから、課員を総動員してまでも名義書換手続をどんどん早くするよう。」などと申し向け、同月一〇日にも同社株券二万一、〇〇〇株を全部鈴木一弘名義に名義書換をするよう請求するなど、いずれも異例かつ同社株式課の通常の事務能力をはるかに越える名義書換手続を強く要求して、なおも買集めを続け、今後も名義書換手続の面で嫌がらせを繰り返し、かつ来るべき株主総会には大挙して押しかけることがあるべき旨を暗示した。

ところで同会社代表取締役社長田口達三はじめ同会社の役員等は、株式課員の報告などから被告人鈴木が同社株式を大量に買付け、かつ同会社としてはかってない方法による名義書換手続が繰り返し請求されている事実を知り、もしこのまま事態を放置すればますます買集めが続き、名義書換手続の面で嫌がらせが繰り返されて、会社の日常業務上支障を来たすことにもなるし、なおそれにもまして来たるべき株主総会において被告人鈴木らが混乱をひきおこし、それにより会社の信用が失墜することを懸念するなど困惑畏怖のあまり結局は被告人鈴木の持株を買取る以外には適切な手段がないものと思うにいたり、役員等から事態の収拾につき一任された田口社長が友人の大洋信用金庫理事長樽谷小市に事情を打ち明け、同人の紹介で知った山王サービス株式会社専務取締役山中純義からさらに元山富雄を紹介され、同人を通じて被告人鈴木に対しその持株を買取りたい旨申し入れて折衝のすえ、ようやく同月一六日被告人鈴木の持株全部を単価一五〇円で買取ることになり、その結果、被告人鈴木は、翌一七日同都千代田区神田鎌倉町一九番地所在大洋信用金庫において、東都水産経理課長松木正二から、同社株式二五万七、五〇〇株の売買名下に、現金三、八六二万五、〇〇〇円の交付を受けてこれを喝取し、

三、中央繊維株式会社関係

1. 犯行にいたるまでの経緯

被告人鈴木は前同様集中投資方式を行なうにふさわしい株式銘柄を求めていたところ、東京都中央区日本橋通二丁目三番地に本店を置き亜麻糸、亜麻織物、混紡亜麻糸ならびにスフ糸などの製造販売を営業目的とする中央繊維株式会社(同社は昭和三四年一一月帝国製麻株式会社との合併により商号を帝国繊維株式会社と改称したが、便宜上以下単に中央繊維または会社と略称する。)が当時資本金が五億円であるほか、前記各基準に照らし格好の銘柄であると判断し、昭和三四年七月中旬ごろ、その株価が六〇円前後の時期から同社株式の買集めを始め、同年七月下旬までに相当多量の同社株式を取得したが、そのころたまたま中央繊維が同都中央区日本橋室町一丁目一番地に本店を置き、亜麻糸、亜麻織物、混紡亜麻糸、綿糸などの製造販売を営業目的とする帝国製麻株式会社(以下単に帝国製麻と略称する。)と対等合併の計画をすすめていることを知るにいたった。

2. 罪となる事実

そこで被告人鈴木は、同社の株価は自己の買集めにつれ次第に上昇の傾向を示してはいたものの、合併計画が市場に取沙汰されるようになってからは、はかばかしい動きも見せなくなってしまったことから、もしこのまま事態が進行し合併が実現をみるにいたったときは、当初予期した利得も上げられなくなり結局自己に不利な結果を招くものとして考慮のすえ、右合併には少数ながら反対の動きもでていることから、この際大株主という地位に乗じ合併反対の申し入れを行ない会社側の畏怖心を利用し、買取請求権の行使という名目でその取得した株式を買取らせるのが、利益を上げるのに最も得策であると思料し、さらに買集めを続ける一方、頃合いを見計らって同会社に赴くこととなり、被告人小倉に同行を求めた。

被告人小倉は同鈴木の右のような意図を知ってこれを了承しここに両名共謀のうえ、同年八月初めごろ同会社に赴き同社取締役総務部長森田竹次に対し、被告人鈴木から「大株主として帝国製麻との対等合併には反対である。どうしても合併するなら買取請求権を行使する。」旨申し向けて大株主の威力により合併計画の実現に支障をもたらすことあるべき旨を暗示した。

ところで右森田および同人の報告を受けた同会社代表取締役社長久保復はじめ役員等は、合併承認をはかる株主総会の行なわれる同月二六日を目前にして、もしこのまま事態を放置しておくときは、右株主総会またはその後右合併問題に関し開催されることとなった公聴会等の席上強硬に合併反対の発言をされるなどして懸案の合併の実現に支障を来たしかねないものと困惑畏怖のあまり、このうえは被告人鈴木の持株を買取るほかはないものと思うにいたった。そこで被告人鈴木の知合である同会社顧問の松本蒸治法律事務所所属の弁護士岡田錫渕に斡旋を依頼し、同弁護士を介して被告人鈴木側と折衝する機会を持つようになり、同年八月二七日ごろ、同都千代田区丸の内一丁目二番地工業倶楽部内前記松本法律事務所において同会社役員等から交渉を委ねられた前記森田と被告人鈴木の意を受けた同小倉との間に折衝が行なわれるようになった。

被告人小倉は、まず被告人鈴木の持株を買取りたいとの会社側の申し入れに応じた後、当時の市場価格の倍額での買取りを要求し、翌二八日森田より意に副う回答を得られなかったので、この際会社側の畏怖心に乗じて自己の希望する価格に応じさせようとして、同日右松本法律事務所において、前記森田ならびに同人と共に出席した同社常務取締役金須文之らに対し「鈴木だったら自分のように穏やかにいかんぞ。もっと相当強引な交渉をする。」「決裂しよう。そのときには、その覚悟がある。」などと申し向けて、一層森田等を困惑畏怖させたうえ、その持株全部を単価一一四円で買取らせることになり、

その結果被告人鈴木は、

(一)  同月二八日右松本法律事務所において、森田から、同社株式三五万株の売買名下に現金三、九九〇万円

(二)  翌二九日同都同区丸の内一丁目一番地所在国際観光ホテルにおいて、同人から、同社株式一七万株の売買名下に泉屋証券株式会社振出の株式会社富士銀行丸の内支店宛小切手(金額一、九三八万円)一通

(三)  同年九月二日同都中央区八重州二丁目一番地所在旅館龍鳴館呉服橋店において、同人から、同社株式四〇万株の売買名下に同証券振出の同銀行丸の内支店宛の小切手(金額四、五六〇万円)一通

の各交付を受けてこれを喝取し、

四、大阪機工株式会社関係

1. 犯行にいたるまでの経緯

被告人鈴木は前同様集中投資方式をとるにふさわしい株式銘柄を求めていたところ、大阪市大淀区豊崎西通一丁目四番地に本店を置き各種紡績機械、工作機械などの製造販売を営業目的とする大阪機工株式会社(以下単に大阪機工または会社と略称する。)が当時資本金が六億円であるほか、前記各基準に照らし格好の銘柄であると判断し、昭和三四年七月中旬ごろ、その株価が八〇円台の時期から同社株式の買集めを始め、同年八月中旬ごろまでに五五万余株を取得するにいたったが、同年九月初めごろから同月中旬ごろにかけて、一旦そのほとんどを市場で売却した後、同年九月下旬ごろ、その株価が九〇円台の時期からふたたび買集めを続け、同年一〇月中旬ごろまでには相当多量の株式を取得するにいたった。

2. 罪となる事実

そこで被告人鈴木は、その取得した株式の処分方法としては、この際会社側の畏怖心を利用して、これを同社あるいはその関係先に買取らせるのが最も得策あると考え、被告人福川に対し調査の名目で同会社に赴くよう指示したが、同被告人は被告人鈴木の右のような意図を知ってこれを了承し、ここに両名共謀のうえ、まず被告人福川において同年九月一四日東洋経済興信所所員として同社を訪れ、同会社常務取締役中井一郎に対し、小松製作所との合併問題、増資問題等につき一通り質問した後、被告人鈴木の依頼により調査に来たと打ち明け、かつ「鈴木は三〇万株も買集めており、これを二〇〇名位の名義に名義書換するつもりである。」などとのべたほか、大株主となった被告人鈴木に挨拶に来るよう促すなどして引き揚げ、さらに同年一〇月一二日から一七日までの間、同会社において連日のように中井あるいは同社専務取締役吉田八三に対し、つぎつぎと被告人鈴木の持株数の増加を誇示し、あるいは神戸生糸(後述第三の五)などの事例をあげて大阪機工役員等の逡巡した態度を非難するなどして、暗に被告人鈴木の持株の買取りを迫った。

ところで中井および吉田ならびに両名から右の状況につき報告を受けた同会社代表取締役社長星住鹿次郎はじめ役員等はこのまま事態を放置しておくときは、被告人福川のこれまでの言動から今後ますます買集めが続けられ、株主権の行使に藉口する商業帳簿類閲覧謄写請求等の方法による嫌がらせが行なわれるかもしれないなどと困惑畏怖のあまり、このうえは被告人鈴木の持株を一括買取るのもやむを得ないと思料し、中井から被告人福川に対し改めて面談を申し入れることとなった。

そこで同被告人は会社側の右のような態度から買取りを求めて来るものと察知し、直ちに宿泊先の大阪市北区中の島二丁目二二番地所在大阪グランド・ホテルから東京都新宿区舟町所在の前記被告人鈴木の事務所にその旨電話連絡をし、その結果被告人鈴木が直接面談にあたるべく下阪することとなった。

そして一〇月一九日被告人鈴木は右グランド・ホテルにおいて中井および吉田の両名に対し、まず「机の上に七五万株ある。これをどうするか。」「自分は新潟の干拓で金がいる。」旨などを申し向けて暗に同人らの買取り申し入れを促し、吉田から単価一〇〇円で買取りたいとの申し出を受けるやこれを一笑に付し、自ら一五〇円の価格を示し、かつ被告人福川をして即時同ホテル別室で会社側の意向をたださせたが、会社側では結局さきの申し入れとさして変らぬ価格を望んでいることを知り立腹して同人らを、「馬鹿にするな。交渉の余地はない。総会で会おう。」などと面罵するにいたった。

そこで中井、吉田ならびに同人等から右面談の状況につき報告を受けた星住社長等同会社役員等は、ますます困惑するにいたったが、さりとて被告人鈴木の言い値にも応じ兼ね結局はしばらく様子を見ようということになった。

一方被告人鈴木は、そのような会社側の態度を見てとり、房総観光社員岡安賢次に指示して同年一一月二五日同会社の名義書換事務を取扱う東洋信託銀行株式会社大阪支店証券代行部に大阪機工の株券六〇万九、〇〇〇株を持込ませ、うち五九万八、〇〇〇株を鈴木一弘名義に、一万一、〇〇〇株については、鈴木一弘方小泉隆外一〇九名名義に各一〇〇株ずつに、一一月二七日には同様四九万三、五〇〇株を鈴木一弘名義にと順次名義書換手続を求めさせ、頃合いを見計らってふたたび大阪機工との買取り交渉をすすめるため被告人小倉にその旨指示したが、同被告人は被告人鈴木の意向を知ってこれを了承しここに被告人小倉も前記共謀に加わることとなり、同年一一月末ごろ大阪機工に赴き中井、吉田に面談を求めて数回交渉を行なったが、買取価格をめぐって双方譲らなかったため結局話し合いはまとまるにいたらなかった。

被告人鈴木は右のような状況を知って肩代りの早期実現をはかろうとして、昭和三五年一月四日ごろの夜間吉田の自宅に電話して交渉の遷延を非難したうえ、「君のような者が重役をしていると会社にろくなことがないから一月の総会までに辞表をとりまとめておけ。」と威圧を加え、あるいは被告人小倉を同会社に赴かせて同三五年一月の株主総会の議題をたずねさせ、また決算書類の交付を求めさせるなどして、来るべき同会社の株主総会には大挙して押しかけ役員の退陣を迫るなどしてその議事の進行を妨げ混乱に導くことあるべき旨暗示し、星住社長はじめ同社役員等を一層困惑畏怖させるにいたった。

ところでこれよりさき同会社側では幹事会社である野村証券株式会社専務取締役村田宗忠らに事情を打ち明けて事態の収拾につき一任し、村田は野村証券副社長北裏喜一郎にこの旨を伝え、右北裏が東光証券株式会社社長唐沢繁雄を介して被告人鈴木と折衝するにいたり、昭和三五年一月二〇日ごろになってようやく被告人鈴木が北裏から示された単価一二〇円の引取価格を受け入れることとなった。

そこで同月二三日ごろ北裏から村田を通じて大阪機工側にこの旨が伝えられたが、星住社長はじめ同会社役員等は前記のように株主総会を目前にして極度に困惑畏怖していた折とて直ちにこれを了承し、同被告人の持株全部を単価一二〇円で買取ることとなり、その結果被告人鈴木は、同月二六日東京都中央区日本橋通り一丁目一番地所在野村証券株式会社本店において同証券社員を介し、大阪機工から、同社の株式一二一万一、〇〇〇株の売買名下に株式会社大和銀行自己宛小切手四通(金額合計一億四、五三二万円)の交付を受けてこれを喝取し、

五、神戸生糸株式会社関係

1. 犯行にいたるまでの経緯

被告人鈴木は前同様集中投資方式を行なうにふさわしい株式銘柄を求めていたところ、神戸市生田区明石町三二番地明海ビル内に本店を置き生糸製造等を営業目的とする神戸生糸株式会社(以下単に神戸生糸または会社と略称する。)が当時資本金が一億四、四〇〇万円にすぎないほか、前記基準に照らし格好の銘柄であると判断し、昭和三四年八月一〇日ごろ、その株価が九〇円台の時期から同社株式の買集めを始め、同年九月中旬までに相当多量の同社株式を取得するにいたった。

2. 罪となる事実

そこで被告人鈴木はその取得した株式の処分方法としてはこの際会社側の畏怖心を利用して、これを同社あるいはその関係先に買取らせるのが最も得策であると考え、まず九月一七日房総観光常務取締役河村市治らに指示して、同社株券三三万七、五〇〇株を神戸生糸本店庶務課に持込ませ、いずれも鈴木一弘名義に即日名義書換手続を強く要求させる一方、被告人福川に対し同社に赴くよう指示した。

被告人福川は同鈴木の意図を知ってこれを了承し、ここに両名共謀のうえ右福川において同日右名義書換手続と相前後して同社に赴き、同社常務取締役渋沢亀夫に面談を求めて、自分は鈴木一弘の関係している東洋経済興信所の要職にある旨説明した後、被告人鈴木の買集めに対する神戸生糸側の態度をただすとともに、「鈴木は話のわかる人である。」などと被告人鈴木の人柄を物語って、暗に同被告人の持株を買戻すのが得策である旨示唆したうえ、大株主である被告人鈴木の許に挨拶に来るよう促して立去り、さらに翌一八日一一万九、四〇〇株、翌々一九日二万株を同様いずれも鈴木一弘名義に順次名義書換手続を請求した。

ところで渋沢ならびに同人らから報告を受けた同社取締役社長野中留蔵はじめ役員等は、すでに被告人鈴木の持株は同社発行済株式数の約二割に達したことを知り、もしこのまま事態を放置しておくときは、ますます買集めが続けられて商業帳簿類閲覧謄写請求、累積投票請求等大株主としての権利行使に藉口した嫌がらせをされ、その結果会社の日常業務に重大な支障を来たし、ひいては取引先に対する信用を損なうことになりかねないなどと困惑畏怖し、このうえは被告人鈴木の持株を買取る以外には適切な手段はないものと思うにいたり、野中および同社取締役会長筑紫六郎が同月二〇日深更、大井証券株式会社社長大井治の自宅に同人を訪ねて自己の会社の役員等の意向を伝え、大井証券で被告人鈴木の持株を買取ってもらいたい旨依頼し、大井の了承を得るにいたった。

そして翌二一日大井は、神戸市葺合区御幸通八丁目九の一番地所在神戸国際ホテルで被告人鈴木に対しその持株を買取りたい旨申し入れたが、同被告人は右のような事情を察知してこれに応じ、折衝のすえ被告人鈴木の持株全部を単価一四二円五〇銭で買取ることとなり、その結果、被告人鈴木は、

(一)  同日同ホテルにおいて、大井証券井上神戸支店長から、神戸生糸株式三〇万株の売買名下に現金四、二七五万円、

(二)  翌二二日大阪市北区中の島二丁目二二番地所在大阪グランドホテルにおいて、井上から、同社株式三〇万株の売買名下に現金四、二七五万円

の各交付を受けてこれらを喝取し、

六、若林酒類食品株式会社関係

1. 犯行にいたるまでの経緯

被告人鈴木は昭和三四年八月下旬ごろ、村上辰雄の依頼を受けて神戸市灘区新在家南町四番地に本店を置き酒類および漬物等の製造を営業目的とする若林酒類食品株式会社(以下単に若林酒類または会社と略称する。)の株式二〇万株を取得したが、調査の結果同会社は当時資本金が一億五、〇〇〇万円にすぎず、業績不振で無配であった。しかし会社の含み資産ならびにその事業内容に興味が持たれたため同年九月一〇日ごろその株価が五〇円台の時期から買集めを始めることとなったが、予期に反して会社側の巧みな防戦買のため所期の株式数が容易に取得できなかった。

2. 罪となる事実

そこで被告人鈴木は右の状況から、その取得した株式の処分方法としてはこの際会社側の畏怖心を利用して、これを買取らせるのが、利益を上げるのに最も得策であると思料し、まず九月一七日午前一〇時ごろ前記河村市治らに指示して、同社株券一五万八、五〇〇株を若林酒類本店経理部に持ち込ませ、同日午後一時までに鈴木一弘名義に名義書換手続をすますよう強く要求させる一方、被告人福川に指示して同会社主要役員に面談を求めさせた。

被告人福川は被告人鈴木の意図を知ってこれを了承し、ここに両名共謀のうえ、被告人福川において同日若林酒類常任監査役若林秀雄に対し電話で同社社長若林与左衛門との面談を求め、同日夜神戸市所在竹葉亭において若林社長および若林監査役と面談し、会社の現状、経営方針等につき問いただした後「明朝鈴木が国際ホテルに来る。鈴木も会社経営について意見を持っているから、これを聞いて参考にしてはどうか。」などと暗に被告人鈴木に面会するよう促して立去った。

そこで若林社長および若林監査役ならびに同会社主要役員等は直ちに対策を協議したが、これまでの経緯に徴し被告人鈴木は結局その持株の一括肩代りを図っているものと推測し、むしろこの際早目に被告人鈴木に面会し、話し合いの状況いかんによってはその持株を買取るのが適当な手段であるとの結論を得て若林監査役がその任に当ることとなり、翌一八日同監査役は同社常務取締役坂口遼を伴って神戸国際ホテルに被告人鈴木を訪問した。

被告人鈴木は同福川の報告を受け、こうした事態の進展を予期していた折から若林等の来訪により会社役員等の困惑を察知しながら、なおも若林、坂口の両名に対し、まず自己の事業および資金力を誇示した後「このまま若林酒類の株を買続けて株数が集まれば、経営上のことにも口出ししたくなるし、帳簿も見たくなる。無配では困る。」旨申し向けて、暗にその持株の買取りを迫った。

そこで若林、坂口の両名は被告人鈴木の右のような言辞から、もし被告人鈴木の要求に応じないときは、今後ますます買集めが続けられ、経営に関する種々の干渉的発言、商業帳簿類閲覧謄写請求等大株主の権利行使に藉口した嫌がらせによって会社経営、日常業務の遂行に支障を来たし、ひいては業界での信用を損うことになりかねないなどと一層困惑畏怖し、この上は被告人鈴木の持株を買取るのも止むを得ないと決意を固め、右若林から同被告人に対しその持株を買取りたい旨申し入れ、同被告人の承諾を得、折衝のすえその持株全部を単価八〇円で買取ることとなり、その結果、被告人鈴木は、同日前記神戸国際ホテルにおいて、若林酒類経理部員野村亘から、同社株式一七万四、〇〇〇株の売買名下に現金一、三九二万円交付を受けてこれを喝取し、

七、愛知時計電機株式会社関係

1. 犯行にいたるまでの経緯

被告人鈴木は前記愛知トヨダ同様かって自己の経済上の本拠地であった名古屋市場に前同様集中投資方式をとるにふさわしい株式銘柄を求めていたところ、名古屋市熱田区千年字船方一五番地に本店を置き時計、計量器等の製造ならびに販売等を営業目的とする愛知時計電機株式会社(以下単に愛知時計または会社と略称する)が当時資本金が三億円にすぎないほか、前記各基準に照らし適切な銘柄であると判断し、昭和三四年一一月一〇日ごろ、その株価が七〇円台の時期から同社株式の買集めを始め、同年一二月初めまでに相当多量の同社株式を取得し、なおも買集めを続けていたため同社株価も漸次上昇するにいたっていた。

2. 罪となるべき事実

そこで被告人鈴木はその取得した同社株式の処分方法としては、すでに愛知トヨタ、愛知機械の各事例を通じて、自己の名が名古屋市場で著名となっていたことから、この際前記愛知トヨタ等の場合と同様会社側の畏怖心を利用して、これを同社あるいはその関係先に買取らせるのが最も得策であると考え、まず買付委託先の証券会社社員に依頼し一二月五日同社株券一万三、〇〇〇株を愛知時計本社総務部庶務課に持込ませ後記第九の六愛知機械の場合とは異なり、ことさら自己の名義に、同月一一日は同様同社株券七万九、〇〇〇株を同社庶務課に持込ませたうえ、うち六万九、〇〇〇株を自己名義に、残りの一万株については鈴木一弘方渥美精三外九八名名義に各一〇〇株ないし二〇〇株ずつを、さらに同月一四日同社株券一万株を自己名義に、同月一六日同社株券三万四、五〇〇株を自己名義に順次名義書換手続を請求させるなど同会社庶務課としては異例な名義書換手続を求めてなおも買集めを続け、かつ来たるべき株主総会には大挙して押しかけることがあるべき旨を暗示した。

ところで庶務課員から右の状況につき報告を受けた同会社代表取締役社長白石豊彦はじめ主要役員等は、もしこのまま事態を放置しておくときは来たるべき株主総会における混乱の発生とそれによる会社の信用の失墜が懸念されるなど困惑畏怖のあまり、被告人鈴木の持株を買取る以外には適当な収拾策はないと考え中部経済新聞社長三宅兼松にその旨依頼し、同人を通じて被告人鈴木に対しその持株を買取りたい旨申し入れて折衝のすえ、同年一二月一七日被告人鈴木の持株全部を単価一三〇円で買取ることになり、その結果、被告人鈴木は、翌一八日前記観光ホテル丸栄において愛知時計専務取締役芝田健次郎から同社株式一四万九、〇〇〇株の売買名下に現金一、九三七万円の交付を受けてこれを喝取し、

八、東洋精機株式会社関係

1. 犯行にいたるまでの経緯

被告人鈴木は、後記第三の九の北陸銀行株式会社の項でも示すように、昭和三四年九月下旬北陸銀行新潟支店から融資申込を断られるや、同銀行の株式を大量に取得しその株式数の威力によって融資の目的を達成すべく同年一〇月初めごろから同銀行の株式の買集めを始めたが、その頃前記由良猛を通じて、金沢市に居住し地方雑誌の発行にたずさわっている明翫外治から、尼崎市長州本通二番地に本店を置き伸銅品、高圧金物ならびに鍛造品等の製造販売等を営業目的とする東洋精機株式会社(以下単に東洋精機または会社と略称する。)が北陸銀行と親密な関係にあることを聞知し、北陸銀行の株式の買集めと並行して東洋精機の株式を買集めれば、間接的に同銀行に圧力が及ぶであろうし、また東洋精機は資本金わずかに二、〇〇〇万円にすぎない小型の上場会社であったことから、経営参加に必要な株式数は容易に取得できるであろうし、その結果同社の経営に参加すれば一層有利な立場を占めることができると考えて、同年一〇月一〇日ごろその株価が八〇円台の時期から同社の株式の買集めを始めたが、一方会社側でもこれに対抗して激しく防戦買を行なったため、同社の株価はたちまち急騰して同月二八日には早くも大阪証券取引所において売買停止の措置がとられるにいたった。しかし被告人鈴木はなおも同社株式の買集めを図って、被告人福川および浅野栄吉らに命じて同社に対して株主名簿の交付を要求させてこれを入手し、同名簿をもとに同社株主宛直接その持株の譲渡方を求める勧誘状を発送して買集めにつとめていた。

2. 罪となる事実

このようにして被告人鈴木は売買停止後も依然として同社株式の買集めを続けていたものの、昭和三四年一一月二〇日ごろには、同社の経営参加に必要な株式数(一〇万株)の取得を目前にして、しだいにその入手が困難となり、一方東洋精機の株式の取得が北陸銀行に対する関係でも予期したとおりの効果を示すにいたらないことを知り、この際同会社の畏怖心に乗じてその取得した株式を同社あるいはその関係先に買取らせて処分してしまおうと決意し、まず被告人福川に対し、その取得した同社株式の名義書換手続請求かたがた同社に赴くよう指示した。

被告人福川は被告人鈴木の右のような意図を知ってこれを了承し、ここに両名共謀のうえ、被告人福川において、同年一一月二八日前記岡安賢次と共に東洋精機本店を訪れ、同社総務部総務課主任渡辺哲彬経理課主任兼総務部長付大塚哲夫の両名に対し、名義書換停止期間中であるにもかかわらず二回にわたり持参した同社株券七万九、五一〇株のうち、六万九、五一〇株を鈴木一弘名義に、一万株をいずれも鈴木一弘方を住所とする計一〇〇名名義に各一〇〇株ずつとする名義書換手続を即刻すませるよう要求し、大塚らから名義書換停止期間中であることを理由に断られるや、同人らに対し、被告人鈴木の人柄および勢威を誇示して要求に従うのが得策であるとのべた後、大塚らから重ねてこれを断られたため、同人らに対し「鈴木を怒らすと恐いですよ。鈴木は会社法の天才で帳簿の閲覧などいろいろできますよ。怒らさないようにやった方がよいですよ。」との趣旨など申し向けて名義書換手続を強く要求し、同人らに同月三〇日に行われる同社の定時株主総会終了後直ちに手渡すことを約束させて引き揚げた。

ついで被告人鈴木は同社の右株主総会に前記明翫等を出席させ、かつ同人に同社の経営および経理状況、株価上昇の原因などにつき質問させたりしたほか、さらに浅野栄吉に指示して同年一二月八日から同月一九日の間前後三回にわたり計三、二六〇株をいずれも鈴木一弘名義に順次名義書換手続を請求させて、すでに大量の同社株式を取得し、今後ますます買集めを続けるであろう気配を暗示した。

ところで同社総務部総務課員から以上の状況につきその都度仔細に報告を受けていた同社取締役社長田辺友和はじめ同社役員等は、すでに被告人鈴木の持株は同社発行済株式数の二割を越え、なおも買集めが続けられていることを知って、これまでの被告人福川の言動等から、もしこのまま事態を放置しておくときは、ますます被告人鈴木の持株がふえ、その結果商業帳簿類閲覧謄写請求、累積投票請求等大株主としての権利行使に藉口した嫌がらせをされ、会社の経営、日常業務の遂行上重大な支障を来たすことになりかねないなどと困惑畏怖し、このうえは被告人鈴木の持株を買取る以外には適切な手段はないものとして、同社常務取締役井上勲が中心となって事態の処理に当ることになった。

そこで井上は友人の日本証券株式会社専務取締役植村正一に事情を打ち明けてその協力を求め、同年一二月初めごろ同人から同人の知人である被告人小倉および同福川の両名を紹介され、被告人両名に対し会社側の意向を伝えるにいたった。

被告人小倉は直ちに被告人鈴木にこの旨を報告したが、その際被告人鈴木からその意図を聞かされるに及んでこれを了承しここに被告人小倉も右共謀に加わることとなった。

そして、昭和三五年一月初めごろ大阪市北区中の島所在の竹葉亭においてまず被告人小倉から井上に対し、「肩代りを望むなら考えないこともないが、社長に話すと一、〇〇〇円位に持ってこられるかもしれない。六〇〇円なら自分から社長に話してやってもよい。」旨申し向けたうえ、さらに同年一月一八日ごろ被告人鈴木自ら田辺社長に面談を求め、前記大阪グランドホテルにおいて田辺に対し「お互いに社長同士だからここできめよう。五〇〇円ではどうか。」と買取りを迫ったが、会社側としてはその希望する価格とあまりにも開きがあったためこれに応ぜず一旦は交渉が打ち切られるにいたった。

ところで被告人鈴木は同年二月中旬ごろから約二ケ月にわたる海外旅行に出掛けることとなり、その留守中は被告人鈴木の意を受けた同小倉が中心となって房総観光の他の役員にも諮って房総観光の前記事業の推進のほか東洋精機の事案も含めた未解決の事案の早期処理をはかっていたが、折柄資金繰りに窮したため、とりあえずこの際懸案となっていた東洋精機の事案の処理をはかるべく、被告人小倉において同三月初めごろ同福川に指示して東洋精機に赴かせることとなり、被告人福川は井上常務に面談を求めて、単価三〇〇円の価格による買取りを要求した。

そこで井上ならびに同人から右の旨報告を受けた田辺社長はじめ同社役員等は協議を重ねたが、前記のように困惑畏怖していた折とて止むなくこれに応じることにし、直ちにその旨かねて買取り方の内諾を得ていた株式会社関西鉄工所社長武村米蔵に伝えてその了承を得(ただし武村には単価二五〇円で買取る旨伝えていた。)、結局武村において被告人鈴木の持株全部を単価二五〇円で買取ることとなり(実際上の単価三〇〇円との差額五〇円分は東洋精機が負担。)、その結果被告人鈴木は東洋精機株式九万八二〇株の売買名下に

(一)  同年同月二三日ごろ前記大阪グランドホテルにおいて、前記井上から、現金四五四万一、〇〇〇円

(二)  前同日大阪市城東区茨田浜町一番地武村米蔵方において、右武村から、現金一、二七〇万五、〇〇〇円および株式会社大和銀行布施口支店振出自己宛小切手(金額一、〇〇〇万円)一通

の各交付をうけてこれを喝取し、

九、株式会社北陸銀行関係

1. 犯行にいたるまでの経緯

被告人鈴木は房総観光の前記宅地造成事業の遂行を図るべく昭和三四年九月二六日ごろ、かねて取引のあった新潟相互銀行の常務取締役大森広作を通じて当時富山市袋町一九番地に本店を置く株式会社北陸銀行(以下単に北陸銀行または銀行と略称する。)新潟支店に対し五、〇〇〇万円の融資申込をしたが、これを拒否されるや激怒し、この上は同銀行の役員を畏怖させてでも所期の目的を遂げようと決意し、まず同年一〇月初めごろ、その株価が六〇円台の時期から当時同銀行の筆頭株主であった北陸電力株式会社の持株一〇〇万株を目標に激しく同銀行株式の買集めを始め、一方そのころ北陸銀行の人事や業態等を誹謗したいわゆる暴露記事を掲載した「ザ・クェスション」(昭和三四年一一月号ないし翌年一月号。昭和三八年押第一、三七五号の二三のうち。)を同銀行役員等宛直接郵送し、あるいは同銀行本店の所在地である富山市近辺の各書店、駅売店などを通じて販売したりしたほか、同三四年一一月二七日に行われた同銀行の定時株主総会には自ら被告人福川等を伴って出席するとともにその際被告人福川に命じて同銀行株券八五万五、二〇〇株を同銀行本店株式課に持込ませ、うち八三万六、〇〇〇株を鈴木一弘名義に、五、〇〇〇株を房総観光名義に、その余の一万四、二〇〇株を鈴木一弘方宍戸健外一四一名名義に各一〇〇株ずつとする名義書換手続を即刻すませるよう要求させ、ついで同月三〇日ごろ同様一三万六、五〇〇株を鈴木一弘名義に名義書換手続をし、さらに同年一二月九日ごろから同三五年三月二日ごろまでの間、前後六回にわたり東京都中央区日本橋室町三丁目一番地所在北陸銀行東京支店において同銀行株券合計六万八、〇〇〇株を鈴木一弘および同人方福川一郎外七名名義に順次名義書換手続をした。

こうして被告人鈴木は同三四年五月ごろに取得しかつ名義書換手続をすませていた同銀行株式一万七、〇〇〇株と合わせて北陸電力株式会社をしのぐ一〇七万六、七〇〇株に達する同銀行の株式を取得し、かつなおも買集めを続ける気配を示して、同銀行株式課員より報告を受けた同銀行頭取田辺友太郎はじめ同銀行役員等をして、もし被告人鈴木の融資の要求を肯んじないときは大株主の地位に藉口した株主総会その他の場合における種種の発言あるいは同被告人の同銀行に対する前記行為と同様の方法を通じて同銀行の経営、日常業務の遂行上重大な支障を来たしひいては信用を重んずる銀行の立場上由由しい事態を招くことになりかねない旨困惑畏怖させるにいたったが、同銀行は引続き被告人鈴木に対する融資拒否の態度をかえず、一方同被告人も昭和三五年二月半ばごろ外遊に出掛けたりしたため右交渉は膠着状態に入っていた。

しかし被告人鈴木は外遊から帰って間もない昭和三五年五月初めごろ、北陸銀行からの融資の実現を図るべく被告人小倉に指示して同銀行本店に赴かせた。

そして被告人小倉は同月六日同銀行本店において、同銀行頭取室長馬瀬清亮と面談し、まず同月末の株主総会の議案につき頭取からの説明を受けたい旨要求しかつ被告人鈴木に対する銀行側の意向をただすなどした後銀行側役員との面談を申し入れ、馬瀬をしてその旨約束させて引き揚げた。

そこで馬瀬から右状況の報告を受けた田辺頭取はじめ銀行役員等は協議の結果、同銀行常務取締役山田正久およびその輔佐役として右馬瀬の両名を被告人鈴木側との今後の折衝に当らせることとなり、山田および馬瀬は翌七日ふたたび来行した被告人小倉と面談し、山田より被告人鈴木の融資申込みには応じられないとの銀行側の態度を明らかにするとともにその持株を買戻したい旨の意向を示した。

2. 罪となる事実

被告人鈴木は被告人小倉から右状況の報告を受け、かつこれまでの経緯に鑑み銀行側の融資拒否の方針の堅いことを知って、考慮のすえ、この際銀行側の前記のような畏怖心に乗じてその取得した同銀行株式を一括買取らせようと決意したが、なおこの機会に折柄未処理のままであった他の買付株式もあわせて同銀行に引取らせようと図り、その方法として同銀行株式を時価程度で売戻すがその交換条件として北越製紙株式会社、日本加工製紙株式会社の各買付株式を時価より高値で引取らせることとし、その旨を被告人小倉、同福川両名に指示し同被告人等を銀行側との折衝に赴かせることにした。

被告人小倉、同福川は被告人鈴木の右意向を知ってこれを了承し、ここに三名共謀のうえ、被告人小倉、同福川の両名において昭和三五年五月九日から同月二〇日ごろまでの間数回にわたり、北陸銀行本店および同銀行支店内東京事務所を訪れ、山田、馬瀬に対し、こもごも銀行側の意向にその被告人鈴木の取得した同銀行株式を時価程度で売り戻すことを承諾する代りにあわせてその取得していた北越製紙株式会社等の株式の買取りを要求したが、山田等から同銀行株式のみの買取りを主張されたためこれに応じさせるにいたらなかった。

そこで被告人鈴木は同小倉等より右状況の報告を受けて、この上は銀行側の畏怖心に乗じて同銀行株式のみを時価より高値に一括して買取らせようと決意するようになり、同三五年五月二四日ごろ、被告人小倉、同福川等と共に前記東京事務所に赴き、山田、馬瀬に対し、まず銀行側の不誠意を非難したうえ「自分がでて来たからには余計なことは言わないし聞きたくない。銀行株プロパーであれば幾らまで出せるのか即答しろ。」との趣旨を申し向けて、その持株の買取りを迫ったが、山田等の示した買取価格がその意に満たなかったため言下にこれを拒否した。

ところで山田、馬瀬から状況の報告を受けた田辺頭取はじめ同銀行役員等は、前記のように困惑畏怖していた折柄、このままいたずらに事案の解決を長引かせることは結局同銀行の信用にもかかわるものと事態を憂えて協議の結果、株式会社日本興業銀行に事案の解決を依頼することとなり、五月下旬ごろ、山田が日本興業銀行に赴き同銀行証券部長三ツ本常彦に対しその善処方を一任し、その了承を得た。

そして三ツ本は五月二五日ごろ、山一証券株式会社代表取締役社長大神一に斡旋を依頼し、結局山田らは同月二六日ごろ同都中央区兜町一丁目三番地所在の同証券会社本店において大神を介して被告人鈴木に対しその持株の一括買取りを申し入れてその承諾を得、折衝のすえその持株全部を単価一〇〇円で買取ることとなり、その結果被告人鈴木は、同月三〇日右山一証券本店において、同証券取締役秘書役斉藤幹雄から北陸銀行株式一〇万六、七〇〇株の売買名下に現金一億七六七万円の交付を受けてこれを喝取し、

一〇、サンウーブ工業株式会社関係

1. 犯行にいたる経緯

被告人鈴木は、かって前記白木屋事件において横井派として共に活躍したことのある柴崎勝男が雑誌「財界」の昭和三五年二月一五日号の誌上において自己を誹謗した発言をしあるいは東洋経済興信所所員が自己の紹介状をもって、柴崎が当時代表取締役社長をしていたサンウェーブ工業株式会社(東京都中央区八重州口四丁目五番地に本店を置き、営業目的は厨房器具類の製造販売。以下単にサンウェーブまたは会社と略称する。)に赴き右興信所会員加入を依頼したのに同社よりこれを無視されたりしたことを憤って、柴崎に対し強い反感を持つようになった。

2. 罪となる事実

そこで被告人鈴木は同社の株式を買集めたうえ嫌がらせをし柴崎社長はじめ同社役員等を困惑畏怖させてこれを買取らせようと決意し、昭和三五年五月中旬ごろ株価が二、〇〇〇円前後の時期から同社株式の買集めを始めたうえ、まず同月二一日ごろ房総観光社員岡安賢次に命じて同社本店総務部に赴かせ、持参した一〇〇株券二枚を各一〇株券に分割したうえいずれも鈴木一弘方を住所とする二〇名名義に名義書換手続を強く要求させ、かつその後数回にわたって執拗にこれを督促させ、ついで同月二四日および二五日には由良猛に命じて同社に赴かせたうえ柴崎社長等に対し、前記雑誌に掲載された柴崎発言の真偽をたださせ、さらに前記福川一郎、小寺正男らに命じて同社に赴かせ、柴崎社長等に対し前記興信所の賛助会員となって最高額の一〇〇万円の会費を納入するよう執拗に勧誘させるなど、五月二一日ごろから同月三一日ごろまでの間、ほとんど連日のように房総観光あるいは関連会社の各社員をサンウェーブに出入りさせ、なお六月以降においてもあわせて四、〇〇〇株を越える同社株式を鈴木一弘および同人方を住所とする約二〇名名義に名義書換手続を請求するなどした。

ところで応待に当った担当係員から報告を受けた柴崎社長はじめ同社役員等は、もしこのまま事態を放置しておくときは、来るべき株主総会の混乱、あるいは同会社に対する前記同様の方法による会社の日常業務に対する妨害的行為、ならびにそれによる信用の失墜などを慮って困惑畏怖のあまり、この上はなんらかの方法によって事態の収拾を図るべきであるとし、その処理等一切については柴崎にこれを一任することとした。

そこで柴崎は同三五年七月初めごろサンウェーブの事実上の顧問でありかつ被告人鈴木とも親しい市原義山の斡旋を得て同被告人と面談したが、具体的な交渉にいたらないまま一旦は物別れに終った。

その後八月に入って同社の株価は連日高騰を続けていたところ、市原から被告人鈴木の買集めと、その持株もすでに一万株を越えている旨を聞かされ、あわせてその持株の買取りを勧められるに及んで、柴崎は一層困惑畏怖し、この際その持株全部を買取って事案の処理を図ろうと考え市原にその意向を伝えると共に、八月一九日ごろ東京都中央区銀座東七丁目五番地所在料亭「松山」に被告人鈴木、市原を招いた。

被告人鈴木は市原を通じて柴崎の意向を知り、その席上柴崎に対しその持株全部を単価三、〇〇〇円で買取るよう申し入れ、同人をしてやむなくこれに応じさせ、その結果被告人鈴木は、

(一)  同月二三日ごろ、同会社において、同社常務取締役小宮俊から、同社株式五、七〇〇株の売買名下に、現金一、七一〇万円、

(二)  同月二五日ごろ、同所において、右小宮から同社株式三、八〇〇株の売買名下に現金一、一四〇万円、

(三)  同月二九日ごろ、同所において、右小宮から同社株式三、八〇〇株の売買名下に現金一、一四〇万円の各交付を受けてこれを喝取し、

一一、大東京火災海上保険株式会社関係

1. 犯行にいたるまでの経緯

被告人鈴木は昭和三五年五月ごろ不動産ビル業松岡清次郎が東京都中央区日本橋通三丁目二番地に本店を置く大東京火災海上保険株式会社(以下単に大東京火災または会社と略称する。)の発行済株式数一、五六〇万株のおよそ一五%にあたる二四〇万株に達する株式を買集めて、会社側に対し経営参加を申し入れ、これれが受け入れられなかったため、その間反目の状態を続けていることを知り、この機に乗じて大東京火災の株式を大量に取得すれば、双方を制して自ら有利な地位を占め得ると考えて、昭和三五年六月中旬ごろその株価が八〇円台の時期から同社株式の買集めを始め同月下旬ごろまでにはすでに四〇万株を越える同社株式を取得し、なおこの間、同社代表取締役社長谷村敬介、同取締役副社長守屋時郎と面談して会社側の意向を打診し会社側に対する好意的態度を示したりなどしていたが、その後まもなく松岡が経営参加を断念してその持株を手放す意向に変わったことを知った。

2. 罪となる事実

そこで被告人鈴木はさきに谷村社長等と会い、同人等の困惑畏怖した状況を察知していたこととて、この際自ら買集めた同社株式を会社側役員の畏怖心に乗じて同会社あるいはその関係先に買取らせようと決意し、まず同年六月三〇日、同会社の名義書換事務を取扱う東洋信託銀行株式会社証券代行部において、三〇万株を鈴木一弘名義に、九、五〇〇株を房総観光名義に、一万株を鈴木一弘方浅野栄吉外九九名名義に各一〇〇株ずつに名義書換手続をし、その後もますます買集めを続け、七月六日ごろ被告人鈴木の前記事務所を訪ねた谷村社長から買集めを止めて貰いたい旨懇願されるや、同人に対し「自分には自分の考えがあるから、考えどおりにやる。」との趣旨を申し向け、その後さらに七月二五日同様一万三、〇〇〇株を鈴木一弘名義に、同月二七日同様一万九、〇〇〇株を鈴木一弘名義に、八月一日同様一万六、五〇〇株を鈴木一弘名義に、同月三日同様一、〇〇〇株を鈴木一弘名義に、同月五日同様九、五〇〇株を鈴木一弘名義に、同月八日同様四、〇〇〇株を鈴木一弘方有田光治外三九名に各一〇〇株ずつに、同月九日同様一、〇〇〇株を鈴木一弘方加賀美恭吉外九名名義に各一〇〇株ずつに、同月一〇日同様二、〇〇〇株を鈴木一弘名義に、同月二二日同様一万一、五〇〇株を鈴木一弘方阿部茂雄外七七名名義各五〇〇株ないし一〇〇株ずつに、同月二三日同様四、五〇〇株を鈴木一弘方吾妻重仲外二四名名義各五〇〇株ないし一〇〇株ずつに、同月二四日同様七、〇〇〇株を鈴木一弘方相馬三代次外三七名名義各五〇〇株ないし一〇〇株ずつに、同月二五日同様一、〇〇〇株を鈴木一弘方青柳正八外九名名義各一〇〇株ずつに、同月二六日同様六、五〇〇株を鈴木一弘方新井精一郎外二四名名義各五〇〇株ないし一〇〇株ずつに順次名義書換手続をし、すでに大量の同社株式を取得し、かつなおも買集めを続ける気配を暗示した。

ところで谷村社長はじめ同社役員等は、さきに被告人鈴木と面談した際の印象などから同被告人が会社側に好意を寄せているものと思料して一旦は安堵したものの、その後における同被告人の右のような言動からその真意に不審を抱き、もしこのまま事態を放置しておくときは、株主総会招集請求、商業帳簿類閲覧謄写請求等の株主権行使に藉口する嫌がらせによって会社の経営、日常業務の遂行上重大な支障を来たし、ひいては自社の信用にも影響しかねないなどと困惑畏怖して、その善処方を同社の幹事会社である野村証券株式会社に一任することとした。

これに対し野村証券では同社専務取締役沢村正鹿が事態の収拾を図ることとなり、同三五年八月下旬ごろ弁護士河本喜与之を介して被告人鈴木に対しその取得した大東京火災の株式を同証券で買取りたい旨申し入れた。

そこで被告人鈴木は、右の事情を知ってその申し入れに応ずることとし、被告人小倉、同福川の両名をして右折衝にあたらせることとなった。

被告人小倉、同福川は被告人鈴木の意図を知ってこれを了承しここに三名共謀のうえ、被告人小倉、同福川両名は八月二九日連れ立って東京都千代田区有楽町一丁目三番地電気倶楽部内河本法律事務所に赴いて沢村と面談し、まず同人からの買取り申し入れに応じた後同人に対し単価一四五円での買取りを要求したが、折衝のすえようやくその持株全部を単価一三〇円の割合いで買取ることを承諾させ、その結果被告人鈴木は、

(一)  同年九月一日東京都中央区日本橋通り一丁目一番地前記野村証券本店において、同社経理部長斉田正太郎から、大東京火災の株式一三三万株の売買名下に現金一億七、二九〇万円、

(二)  同月二日同所において同人から、同社株式一二万株の売買名下に現金一、五六〇万円、

(三)  同月三日同所において、同人から、同社株式六万四、五〇〇株の売買名下に、現金八三万五、〇〇〇円の各交付を受けてこれを喝取し、

一二、株式会社大生相互銀行関係

1. 犯行にいたるまでの経緯

被告人鈴木は群馬県前橋市本町二五番地に本店を置く株式会社大生相互銀行(以下単に大生相互または銀行と略称する。)から融資を受けようとして、まず昭和三五年春ごろ同銀行株式三万五、二〇〇株を取得し、同年六月二五日ごろこれを同銀行銀座支店に持込み、うち二万二〇〇株を鈴木一弘名義に、五、〇〇〇株を房総観光名義に、その余の一万株を鈴木一弘方横井栄樹外九九名名義に各一〇〇株ずつとする名義書換手続をしたうえ、同年八月一日ごろから同月一六日までの間前後三回にわたり被告人福川等に命じて同銀行本店に赴かせて、融資申し入れをさせたが、同銀行からその都度これを断られていた。

2. 罪となる事実

そこで被告人鈴木は同銀行側の態度に憤慨して、この上は同銀行役員等を威迫してでも自己の融資申し入れに応じさせ、もって金員借用の利益を得ようと決意し、被告人福川と共謀のうえ、まず被告人鈴木において昭和三五年八月一八日ごろ同銀行本店に赴き、同銀行二階応接室において、同銀行代表取締役社長高畠佳次、常務取締役塩原清、同内田義房、審査部長陶山重美等に対し、持参した一、五〇〇万円の札束を示しながら、預金担保による貸付けを要求し、これを拒否されるや、なおも「自分は大生相互から融資を受けたという実績が作りたいのだ。それでないと鈴木の顔が立たない。今日は融資を受けない限り帰れない。この鈴木のどこが悪くて融資ができないのだ。」との趣旨を申し向けて融資を迫り、高畠等より重ねてこれを断られるや、「一万円も貸せないというのか、立派な口をきいているが君のところもきれいな貸出しばかりではないだろう。」あるいは「これから株主権を行使するから覚えておけ。」などの趣旨を申し向け、もし右融資申入れに応じなければ株主総会における発言など株主権行使に藉口した嫌がらせにより同銀行の日常業務の遂行上いかなる妨害を及ぼすかも知れない態度を示し、さらに同年九月二日ごろ、被告人福川において同銀行企画部兼業務部副部長上田清に対し電話で銀行側の態度を非難したうえ「こちらでは和戦両用の構えがある。」など銀行側の出方いかんでは抗争も辞さない強い態度を示した後、同人に面談を求め翌三日ごろ、さきに同銀行銀座支店に東洋経済興信所会員勧誘のため共に訪れたことのある小寺正男と連れ立って、同銀行本店に赴き、上田に対し「飛行機でビラを撒くこともできる。」との趣旨を申し向け、もし被告人鈴木の融資申し入れに応じないときは、同銀行を誹謗するビラを飛行機で群馬県下に撒布して同銀行の信用を失墜させかねない態度を示すなどして脅迫したが、同銀行が融資拒否の態度を変えるにいたらなかったため、所期の目的を遂げなかったものである。

第四、各論(2)(法人税法違反関係)

被告人鈴木は、被告会社の業務に関し法人税を免れる意思をもって、昭和三四年四月一日から同三五年三月三一日までの事業年度において、有価証券売却代金の一部を脱漏する不正な方法により所得を秘匿し、右事業年度の実際所得金額が八、七九三万四、七三四円あり、これに対する法人税額三、二五四万六、三六五円を納付すべき義務があったのにかかわらず、右法人税の申告期限である昭和三五年五月三一日までに所轄四谷税務署長に対し、法人税の確定申告書を提出しないでこれを徒過し、もって法人税額三、二五四万六、三六五円をほ脱したものである。(なお右判示ほ脱所得金額については別紙一に、その内容については別紙二に、またほ脱税額の計算については別紙三に各記載したとおりである。)

第五、証拠の標目

(本項を含む本判決書中における公判回数はすべて通算回数による)

一、総論関係

(一)、判示第二(総論)の一(被告人等の経歴と身分関係)につき、

(被告人鈴木一弘関係)

1. 第八九回公判調書中被告人鈴木の供述記載(以下単に鈴木陳述書という。)

2. 同被告人の検察官に対する昭和三五年一一月二二日付供述調書(第一項ないし第五項)

(被告人小倉寿夫関係)

1. 被告人小倉の検察官に対する昭和三五年一一月二二日付供述調書、

(被告人福川一郎関係)

1. 第九〇回公判調書中被告人福川の供述記載、(以下単に福川陳述書という)

2. 同被告人の検察官に対する昭和三五年一一月二二日付供述調書、

(二)、判示第二(総論)の二(房総観光の事業)および同四(いわゆる集中投資方式)につき、

1. 前掲鈴木陳述書、

2. 第九一回公判調書中、被告人鈴木の供述記載、

3. 被告人鈴木の検察官に対する左記供述調書、

(イ)、昭和三五年一一月二二日付のもの(第八項乃至第一〇項、但し被告人鈴木の関係でのみ)

(ロ)、同年同月二三日付のもの(第二項ないし第四項)

(ハ)、同年同月二七日付のもの(第五項および第六項、但し被告人鈴木に対する関係でのみ)

(ニ)、同年一二月一〇日付のもの(第一項、但し被告人鈴木に対する関係でのみ)

4. 第九五回公判調書中被告人小倉の供述記載、

5. 被告人小倉の検察官に対する左記供述調書、

(イ)、昭和三五年一一月二三日付のもの(第四項までのもの、および第七項までのもの)

(ロ)  同年同月二五、二六、二七日付のもの、

(ハ)、同年同月二七日付のもの、

(ニ)、同年一二月一日付のもの、(第一五項および第一六項、但し被告人鈴木、同小倉に対する関係でのみ)

(ホ)、同年同月一二日付のもの、

(ヘ)、同年同月一五日付のもの、

6. 前掲福川陳述書、

7. 第九三回公判調書中被告人福川の供述記載、

8. 被告人福川の検察官に対する左記供述調書、

(イ)、昭和三五年一一月二三日付のもの(枚数七枚のもの)(被告人福川に対する関係でのみ)

(ロ)、同年同月二六日付のもの(第八項までのもの)(被告人福川に対する関係でのみ)

9. 公判調書中、証人山中正浩(第四九回)、同渡部虎雄(前同)、同吉永一之(第五〇回)、同河村市治(第五一回)、同判田保克(第五二回)、同浅野栄吉(第六五回)、同菱沼一雄(前同)の各供述記載、

10. 土屋政芳、北橋亮二、小川静夫の検察官に対する各供述調書、

11. 大蔵事務官鷹野千里作成の有価証券勘定元帳(ただし第九六回公判調書中同証人の供述記載の一部となっているもの)

12. 押収じてある証拠物

(イ)、写真五葉(昭和三八年押第一、三七五号の四)

(ロ)、出納帳五冊(同押号の七)

(ハ)、伝票綴二七冊(同押号の八)

(ニ)、株式関係書類一袋(同押号の一一)

(三)、判示第二(総論)の三(被告人鈴木のその他の事業等)につき、

1. 前掲鈴木陳述書、

2. 被告人鈴木の検察官に対する供述調書、

(イ)、昭和三五年一一月二二日付のもの(第二項、第三項および第一〇項、但し被告人鈴木に対する関係でのみ)

(ロ)、同年同月二三日付のもの(第六項、但し被告人鈴木に対する関係でのみ)

3. 被告人小倉の検察官に対する昭和三五年一一月二五、二六、二七日付供述調書、(第四項)

4. 前掲福川陳述書、

5. 公判調書中、証人浅川雅通(第五三回および第六四回)、同由良猛(第五三回)同小寺正男(第六〇回)の各供述記載

6. 第六五回公判調書中証人浅野栄吉の供述記載

7. 浅野栄吉の検察官に対する供述調書、(第二項)

8. 押収してある雑誌「ザ・クェッション」計一二冊(前回押号の二三および二四、)

二、恐喝関係

(一)、判示第三(各論(1))の事実全般にわたり、

1. 前掲鈴木陳述書および第四九回公判調書中被告人鈴木の供述記載、

2. 第九二回公判調書中被告人鈴木の供述記載、

3. 被告人鈴木の検察官に対する左記供述調書、

(イ)、昭和三五年一一月二三日付のもの(第二項ないし第一六項、但し第五項ないし第一四項、第一六項は被告人鈴木に対する関係でのみ)

(ロ)、同年同月二七日付のもの(第三項ないし第七項、但し被告人鈴木に対する関係でのみ)

4. 第九五回公判調書中被告人小倉の供述記載、

5. 被告人小倉の検察官に対する左記供述調書、

(イ)、昭和三五年一二月五日付のもの(第一項ないし第七項)

(ロ)、同年同月七日付のもの(第九項および第一二項)

(ハ)、同年同月一一日付のもの

(ニ)、被告人小倉の前掲検察官に対する各供述調書((二)の5の(イ)ないし(ヘ))

6. 前掲福川陳述書および第五一回公判調書中、同被告人の供述記載、

7. 被告人福川の検察官に対する左記供述調書、

(イ)、昭和三五年一二月五日付のもの(第一ないし第五項、但し被告人福川に対する関係でのみ)

(ロ)、前掲同被告人の検察官に対する供述調書、((二)の8の(ロ))

8. 公判調書中、証人岡安賢次(第五一回)、同箕輪伝治郎(第五五回)、同馬場光雄(第五七回)、同尾上春風(第六〇回)の各供述記載、

9. 前掲証人吉永一之(第五〇回)、同河村市治(第五一回)、同浅野栄吉(第六五回)の各供述記載、

10. 前掲北橋亮二の検察官調書、

11. 岡安賢次の検察官に対する昭和三五年一二月八日付供述調書(第二項および第三項)

12. 判田保克の検察官に対する供述調書(第二項前段)

13. 小寺正男の検察官に対する供述調書(第六項および第七項)

14. 浅野栄吉の検察官に対する供述調書(第一七項)

15. 東京証券取引所日報写し、

16. 東京証券業協会作成の相場表写し、

17. 前掲大蔵事務官鷹野千里作成の有価証券勘定元帳((二)の11.)

18. 押収してある証拠物

(イ)、総勘定元帳一冊(前同押号の六)

(ロ)、伝票綴六冊(同押号の九)

(ハ)、株価表日報三綴(同押号の一二)

(ニ)、書類在中袋二袋(同押号の一三)

(ホ)、記名ゴム印在中箱二箱(同押号の一四)

(ヘ)、認印在中木箱一箱(同押号の一五)

(ト)、認印在中紙箱一箱(同押号の一六)

(チ)、関係株式引値一覧表計一〇冊(同押号の一九および二一)

(リ)、関係株式平均値一覧表一冊(同押号の二〇)

(ヌ)  「常務会打合事項」と題するもの一袋(同押号の二二)

(二)、判示第三の一(愛知トヨタ関係)の事実につき、

1. 被告人鈴木の検察官に対する昭和三五年一一月三〇日付供述調書(第五項)

2. 裁判官の証人後藤顕義(昭和三六年一〇月一二日付)、同山口昇(同年同月同日付)、同小島孝三(同年同月一三日付)同南部庄一郎(同年同月同日付)、同真野雅彦(同年同月一四日付)に対する各尋問調書

3. 山口昇の検察官に対する昭和三五年一一月一六日付供述調書(第三項および第一〇項)

4. 押収してある証拠物

(イ)、受渡計算書(買)写し一枚(前同押号の二八)

(ロ)、領収証写し一枚(同押号の二九)

(ハ)、愛知トヨタ株式株価表および出来高表二枚(同押号三〇)

(ニ)、長期借入金出入明細表および投資有価証券出入明細表三枚(同押号の三一)

(ホ)、検察事務官作成の捜査報告書添付の新聞写真三枚(同押号の三二)

(三)、判示第三の二(東都水産関係)の事実につき、

1. 被告人鈴木の検察官に対する昭和三五年一一月三〇日付供述調書(第八項)

2. 公判調書中、証人田口達三(第一二回および第一六回)、同樽谷小市(第一二回)、同牛来進(第一二回および第一六回)、同佐久間康之(第一三回)、同松木正二(第一三回)、同堀口秀真(第五七回)、同元山富雄(第六三回)の各供述記載

3. 前掲証人岡安賢次(第五一回)の供述記載

4. 元山富雄の検察官に対する昭和三五年一二月五日付供述調書(第一〇項)

5. 山中純義の検察官に対する供述調書二通

6. 藤井与吉作成の答申書

(四)、判示第三の三(中央繊維関係)の事実につき、

1. 被告人鈴木の検察官に対する昭和三五年一二月一日付供述調書(第一項)

2. 被告人小倉の検察官に対する同年同月同日付(第一項ないし第五項)および同月五日付(第八項)各供述調書

3. 公判調書中、証人森田竹次(第二三回)、同久保復(第二四回)、同岡田錫渕(第三〇回)の各供述記載

4. 山内彦三郎の検察官に対する供述調書

5. 株式会社富士銀行丸の内支店作成の回答書(小切手写真添付)

(五)、判示第三の四(大阪機工関係)の事実につき、

1. 被告人鈴木の検察官に対する昭和三五年一一月二三日付(第一七項ないし一九項、ただし、同被告人に対する関係でのみ)、同月二七日付(第二項)および同年一二月三日付(第四項)各供述調書

2. 被告人小倉の検察官に対する昭和三五年一一月二三日付(ただし二項までのもの、第一項、)および同月二八、二九日付(第五項ないし第一五項)各供述調書

3. 被告人福川一郎の検察官に対する昭和三五年一一月二三日付(枚数一八枚のもの、第一項および第三項、)および同年一二月五日付(第六項、ただし被告人福川に対する関係でのみ)各供述調書

4. 第九回公判調書中、証人唐沢繁雄、同北裏喜一郎の各供述記載

5. 第六五回公判調書中証人浅野栄吉の供述記載

6. 裁判官の証人星住鹿次郎(昭和三七年三月二三日付)、同中井一郎(同年同月同日付および同年五月二二日付)、同吉田八三(同年三月二四日付)に対する各尋問調書

7. 寺尾威夫、村田宗忠(二通)、小野寺健治、斉田正太郎の検察官に対する各供述調書

8. 小林正人、今井伝五郎、高橋善雄各作成の各上申書

9. 東洋信託銀行株式会社大阪支店証券代行部、株式会社大和銀行東京支店(小切手写真添付)、株式会社大和銀行堂島支店各作成の各回答書

10. 押収してあるメモ一三枚(前同押号の二六。ただし一二枚目および一三枚目を除く。)

(六) 判示第三の五(神戸生糸関係)の事実につき、

1. 被告人鈴木の検察官に対する昭和三五年一一月三〇日付供述調書(第二項)

2. 被告人福川の検察官に対する昭和三五年一一月二九日付供述調書(第二項)

3. 前掲証人河村市治(第二二回)の供述記載

4. 裁判官の証人渋沢亀夫(昭和三七年九月一二日付)、同大井治(同年同月同日付)に対する各尋問調書

5. 野中留蔵の検察官に対する供述調書

6. 押収してある証拠物

(イ)、福川一郎の名刺一枚(前同押号の五一)

(ロ)、新聞切り抜きスクラップ帖一冊(同押号の五二)

(七)、判示第三の六(若林酒類関係)の事実につき、

1. 被告人鈴木の検察官に対する昭和三五年一二月一日付(第九項)および同月七日付(第六項)各供述調書(いずれも被告人鈴木に対する関係でのみ)

2. 被告人福川の検察官に対する昭和三五年一二月二日付供述調書

3. 前掲証人河村市治(第五一回)の供述記載

4. 裁判官の証人坂口遼(昭和三七年五月二三日付)、同若林秀雄(同年同月二四日付)、同河村政一(同年同月同日付)、同本田武(同年同月二四日付)に対する各尋問調書

5. 若林秀雄の検察官に対する昭和三五年一一月二五日付供述調書(第四項ないし第七項、第一〇項)

6. 野村亘の検察官に対する供述調書

7. 若林与左衛門作成の回答書

8. 検察事務官作成の電話聴取書

(八)、判示第三の七(愛知時計関係)の事実につき、

1. 被告人鈴木の検察官に対する昭和三五年一一月三〇日付供述調書(第七項)

2. 被告人福川の検察官に対する同年同月二七日付供述調書(第一項)

3. 前掲証人箕輪伝治郎(第二五回)の供述記載

4. 裁判所の証人青木賢三(昭和三九年四月一四日付)、同白石豊彦(同年同月一五日付)、同芝田健次郎(同年同月同日付)、同磯部清(同年同月同日付)、同三宅兼松(同年同月一六日付)に対する各尋問調書

5. 中村文夫の検察官に対する供述調書(名義書換明細表および株式売買高表各添付)

(九)、判示第三の八(東洋精機関係)の事実につき、

1. 被告人鈴木の検察官に対する昭和三五年一一月二八日付(第一〇項)および同年一二月三日付(第五項、ただし被告人鈴木に対する関係でのみ)各供述調書

2. 被告人小倉の検察官に対する昭和三五年一一月二八、二九日付(第二三項および第二五項)、同月三〇日付(第一項ないし第八項)および同年一二月二三日付(第一五項)各供述記載

3. 被告人福川の検察官に対する昭和三五年一一月二五日付、同月二六日付(二項までのもの)、同年一二月二日付(第二項)、同月五日付(第八項)各供述調書(ただし後三者は、いずれも被告人福川に対する関係でのみ)

4. 前掲証人岡安賢次(第五一回)同由良猛(第五三回)同浅野栄吉(第六五回)各供述記載

5. 裁判所の証人田辺友和(昭和三八年五月二九日付)、同井上勲(同年同月同日付)、同土居四郎(同年同月三〇日付)、同渡辺哲彬(同年同月同日付)、同植村正一(同年同月同日付)同大塚哲夫(同年六月一二日付)、同武村富治夫(同年同月同日付)、同武村米蔵(同年同月同日付)、同明翫外治(同年同月一三日付)に対する各尋問調書

6. 由良猛の検察官に対する供述調書(第一〇項および第一三項)

7. 浅野栄吉の検察官に対する供述調書(第一三項および第一四項)

8. 株式会社大和銀行布施口支店作成の回答書(小切手写真添付)

9. 押収してある証拠物

(イ)、新聞記事切抜帳一冊(前同押号の五八)

(ロ)、往復棄書計一〇枚(同押号の六〇、六一)

(ハ)、名義書換請求書一冊(同押号の六二)

(一〇)、判示第三の九(北陸銀行関係)の事実につき、

1. 被告人鈴木の検察官に対する昭和三五年一一月二八日付(第一項ないし第九項)、同年一二月三日付(第六項)、同月七日付(第八項)、同月八日付(第二項)各供述調書(ただし、同年一一月二八日付のもの、第七項を除いて、いずれも被告人鈴木に対する関係でのみ、)

2. 被告人小倉の検察官に対する昭和三五年一一月二八、二九日付(第一六項ないし第二二項および二六項)、同年一二月二、三日付(第一七項および一八項)、同月七日付(第五項)各供述調書

3. 被告人福川の検察官に対する昭和三五年一一月三〇日付(第二項)および同年一二月五日付(第七項)各供述調書(ただし後者は被告人福川に対する関係でのみ)

4. 前掲証人由良猛(第五三回)、同元山富雄(第六三回)の各供述記載

5. 第三五回公判調書中、証人堀川喜久夫、同馬瀬清亮、同大神一の各供述記載

6. 第三六回公判調書中、証人井田義夫、同斉藤幹雄、同松沢卓二の各供述記載

7. 第三八回公判調書中、証人大森広作、同大森健治、同大谷泰三、同田辺友太郎の各供述記載

8. 第三九回公判調書中、証人山田正久、同竹下寛、同三ツ本常彦の各供述記載

9. 由良猛の検察官に対する供述調書(第一〇項)

10. 大森健治の検察官に対する供述調書(第三項および第四項)

11. 久保祐三郎、舟竹正人、吉田裕彦の検察官に対する各供述調書

12. 三ツ本常彦、矢本五郎各作成の各答申書

(一一)、判示第三の一〇(サンウェーブ関係)の事実につき、

1. 被告人鈴木の検察官に対する昭和三五年一二月七日付(第三項)および同月一〇日付(第三項および第四項)各供述調書

2. 被告人小倉の検察官に対する昭和三五年一一月三〇日付供述調書(第三六項ないし第四一項)

3. 被告人福川の検察官に対する昭和三五年一一月二八日付供述調書(第二項)

4. 前掲証人岡安賢次(第五一回)、同小寺正男(第六〇回)、同由良猛(第五三回)の各供述記載

5. 公判調書中、証人小宮俊(第三一回)、同大西磐五郎(第三二回)、同柴崎勝男(第四三回)、同市原義山(第五二回)、同荒木新九郎(第六〇回)の各供述記載

6. 柴崎勝男の検察官に対する供述調書(第四項、第六項、第七項、第九項、第一〇項および第一二項)

7. 小宮俊の検察官に対する供述調書(第四項および第五項)

8. 市原義山の検察官に対する供述調書(第四項)

9. 由良猛の検察官に対する供述調書(第四項)

10. 荒木新九郎の検察官に対する供述調書(第二項および第三項)

11. 岡安賢次の検察官に対する昭和三五年一二月九日付供述調書

12. 鈴木一郎の検察官に対する供述調書

13. 押収してある証拠物

(イ)、有価証券取引書一通(前同押号の一八のうち昭和三五年領第一五、八〇〇号のうち符第七六号の二のもの)

(ロ)、雑誌「ザ・クェッション」一冊(同押号の二四のうち、昭和三五年領第一五、八〇〇号の符第一五九号の一)

(ハ)、名刺計一一枚(同押号の六三ないし七二)

(ニ)、「証」と題する書面一枚(同押号の七三)

(一二)、判示第三の一一(大東京火災関係)の事実につき、

1. 被告人鈴木の検察官に対する昭和三五年一二月一日付(第八項)および同月七日付(第九項および第一〇項)各供述調書(いずれも被告人鈴木に対する関係でのみ、)

2. 被告人小倉の検察官に対する昭和三五年一一月三〇日付(第二八項ないし第三五項)および同年一二月二、三日付(第一六項)各供述調書

3. 被告人福川の検察官に対する昭和三五年一一月二七日付(第三項)および同年一二月五日付(第一〇項)各供述調書(ただし、後者は被告人福川に対する関係でのみ、)

4. 前掲証人判田保克(第五二回)、同小寺正男(第六〇回)、同元山富雄(第六三回)の各供述記載

5. 公判調書中、証人沢村正鹿(第三二回)、同守屋時郎(第三二回)、同松岡清次郎(第三三回)、同谷村敬介(第三四回)、同水谷文一(第六四回)の各供述記載

6. 谷村敬介の検察官に対する供述調書(第五項)

7. 反町茂作、佐々木省三、海口守三、本井克孝、坪田吾六、辻村寅次郎、河本喜与之、斉田正太郎、吉田裕彦の検察官に対する各供述調書

8. 押収してある覚書一通(前同押号の一七)

(一三)、判示第三の一二(大生相互関係)の事実につき、

1. 被告人鈴木の検察官に対する昭和三五年一一月二七日付供述調書(第八項ないし第一〇項、ただし第八項および第九項は被告人鈴木に関する関係でのみ、)

2. 被告人小倉の検察官に対する昭和三五年一二月二、三日付供述調書(第七項ないし第一四項)

3. 被告人福川の検察官に対する昭和三五年一一月二三日付(枚数一〇枚のもの、)、同年一二月八日付(第二項)および同年同月九日付(第一項)各供述調書

4. 第四六回公判調書中、証人高畠佳次、同塩原清、同根岸俵太郎の各供述記載

5. 第四七回公判調書中、証人陶山重美、同上田清の各供述記載

6. 第四八回公判調書中、証人内田義房の供述記載

7. 前掲証人市原義山、同小寺正男の各供述記載

8. 高畠佳次の検察官に対する供述調書(第八項および第一〇項)

9. 陶山重美の検察官に対する供述調書(第四項)

10. 市原義山の検察官に対する供述調書(第六項)

11. 小寺正男の検察官に対する昭和三五年一二月七日付供述調書(第三項)

三、法人税法違反関係

(一)、判示第四(各論(2))の事実全般にわたり

1. 第一二一回公判調書中被告人鈴木の供述記載

(二)、不正行為および犯意につき

1. 被告人鈴木の検察官に対する昭和三七年一二月三日付および同月七日付各供述調書

2. 公判調書中、証人吉永一之(第一〇七回、第一一三回)、同小倉寿夫(第一〇二回、第一〇四回)の各供述記載

3. 林薫(第三項のみ)、大田義明、山口勝巳(第三項を除く)の検察官に対する各供述調書、

4. 押収してある証拠物

(イ)、法人税確定申告書一綴(昭和四〇年押第一〇六九号の一)

(ロ)、総勘定元帳五冊(同押号の二、三、九、)

(ハ)、昭和三五年決算書試算表一袋(同押号の四)中の昭和三五年三月末決算資料と題する試算表および総合残高試算表

(ニ)、損益計算書一枚(同押号の二七)

(ホ)、貸借対照表二枚(同押号の二八)

(三)、被告会社の本店所在地、営業目的、資本金、事業年度法人税確定申告期限、同所轄税務署等につき

1. 宮下一男、高木敏男各作成の各登記簿謄本

2. 押収してある法人税確定申告書一綴(前同押号の一)

(四)、有価証券売却益につき

1. 被告人鈴木の検察官に対する昭和三七年一一月三〇日付、同年一二月三日付および同月七日付各供述調書

2. 公判調書中、証人吉永一之(第一〇七回、第一一三回)、同小倉寿夫(第一〇二回、第一〇四回および第一一三回)、同吉田敬作(第九四回、第九八回)、同鷹野千里(第九六回)、同外山登美男(第九八回)、同北橋亮二(第一一二回)および同岡安賢次(第一一六回)の各供述記載

3. 大田義明、山口勝巳(第三項を除く)の検察官に対する各供述調書

4. 高木繁男作成の登記簿謄本

5. 押収してある証拠物

(イ)、総勘定元帳二冊(前同押号の二、三)

(ロ)、昭和三五年決算書試算表一袋(同押号の四、)中の昭和三五年三月末決算資料と題する試算表

(ハ)、損益計算書一枚(同押号の二七)

(ニ)、貸借対照表二枚(同押号の二八)

(五) 土地売却益につき

1. 被告人鈴木の検察官に対する昭和三七年一二月五日付供述調書

2. 公判調書中、証人吉永一之(第一〇七回)、同吉田敬作(第九四回、第一二〇回)、同外山登美男九八回)、同米本卯吉(第一〇六回、第一一五回)および同守屋東太郎(第一〇六回)の各供述記載

3. 林薫(第三項のみ)、大田義明の検察官に対する各供述調書

4. 高橋勝美作成の登記簿謄本送付書

5. 株式会社静岡相互銀行取締役米本卯吉、同杉崎治作共同作成の上申書

6. 押収してある証拠物

(イ)、総勘定元帳二冊(前同押号の二、三)

(ロ)、昭和三五年決算書試算表一袋(同押号の四)中の昭和三五年三月末決算資料と題する試算表

(ハ)、損益計算書一枚(同押号の二七)

(ニ)、貸借対照表二枚(同押号の二八)

(ホ)、計算メモ五枚(同押号の三〇)

(ヘ)、売買契約書一通(同押号の三一)

(六)、受取利息につき

1. 被告人鈴木の検察官に対する昭和三七年一二月四日付供述調書

2. 公判調書中、証人志賀正好(第九六回、第一〇二回)、同外山登美男(第九八回)および同吉田敬作(第九四回、第九八回)の各供述記載

3. 株式会社東海銀行新宿支店支店長平岩功作成の証明書

4. 株式会社静岡相互銀行川崎支店支店長久保一麿作成の残高証明書(昭和三四年三月三一日現在の残高に関するもの)

5. 株式会社第一相互銀行取締役営業部長田中友一郎作成の預金および手形貸付等の元帳写、ならびに同残高証明書提出の件と題する書面

6. 日本信託銀行株式会社取締役支店営業部長石原新太郎作成の証明書

7. 株式会社三菱銀行四谷支店支店長矢部進一作成の取引関係調査の回答に関する件と題する書面

8. 株式会社平和相互銀行支店営業部長鈴木永久作成の回答書

9. 株式会社十六銀行営業課長大津幹男作成の当行における鈴木一弘に関する取引調と題する書面

10. 株式会社日本相互銀行新潟支店支店長細田修作成の答申書

11. 株式会社新潟相互銀行高田支店支店長片桐敏夫作成の上申書

12. 押収してある総勘定元帳三冊(前同押号の九)

(七)、不明入金および不明出金につき、

1. 公判調書中、証人吉田敬作(第九四回、第九八回)、同岸野武男(第九四回、第一〇〇回)および同外山登美男(第九八回)の各供述記載

2. 岸野武男作成の上申書

(八)、雑損中貸倒れ損につき、

1. 被告人鈴木の検察官に対する昭和三七年一一月三〇日付、同年一二月三日付および同月五日付各供述調書

2. 公判調書中、証人吉永一之(第一〇七回、第一一三回)、同山中正浩(第一一八回)、同大泉製正(第一一九回)、同堤歴治(第一二〇回)、同吉田敬作(第一二〇回)および同米本卯吉(第一〇六回、第一一五回)の各供述記載

3. 証人菊地与吉に対する裁判所の尋問調書

4. 高木敬男作成の登記簿謄本

5. 押収に係る証拠物

(イ)、昭和三五年決算書試算表一袋(前同押号の四)中の昭和三四年三月三一日決算報告書

(ロ)、総勘定元帳一冊(同押号の一六)

(ハ)、静岡地裁沼津支部民事既済事件記録二冊(同押号の二五、二六)

(九)、雑損中その余につき、

1. 公判調書中、証人吉田敬作(第九四回、第九八回)、同外山登美男(第九八回)および同鷹野千里(第九六回)の各供述記載

2. 鷹野千里作成の小豆取引損益明細

(一〇)、有価証券評価損につき、

1. 公判調書中、証人吉田敬作(第九四回)、同鷹野千里(第九六回、第一〇五回)、同外山登美男(第九八回)の各供述記載

2. 東京証券取引所作成の上場証券月中平均価格表

(一一)、受取配当金、雑収入、妙高営業所損、有価証券取引税、売買手数料、減価消却費、支払利息、本社経費および大阪支社経費につき、

1. 第九四回公判調書中の証人吉田敬作の供述記載、

2. 第九八回公判調書中の証人外山登美男の供述記載、

(一二)、控除所得税加算につき、

1. 法人税確定申告書一綴、(前同押号の一)

第六、恐喝関係における弁護人の主張に対する判断

被告人鈴木、同小倉、同福川の各弁護人等は、被告人等の本件各所為(ただし判示第三の一二の所為を除く)は株式の売買という通常の商取引行為であって適法行為であると主張する。

しかし適法行為の外観を呈するものであってもその行為の実態に照し社会的にみて相当性の範囲を明らかに逸脱したものと認められるときは違法であるとの評価を受けなければならないことは当然である。ただ本件における株式の取引は自由主義、資本主義経済機構のもとにおいて、いわばその尖端をゆく商取引の一つであって、一般の他の商取引に較べその評価はとくに慎重に検討されなければならないことはいうまでもない。

そこで被告人等の本件各所為を見るに、それらは前記第三においてそれぞれ認定したとおり大量に買集めた株式を、発券会社の役員等の困惑畏怖に乗じ、発券会社あるいはその関係先に一括買取らせる目的で、あるいは当初から右の目的で株式を大量に買集めたうえ、前掲のとおり、ことさらに異常な名義書換手続の督促、理由に乏しい株券の分割、異常かつ極端な多数人名義による名義書換手続の要求、調査の名目による被告人鈴木の関係する興信所員の派遣、ねつ造記事を載せた雑誌の発行などの嫌がらせあるいは威迫行為を繰り返し、発券会社役員等を困惑畏怖させてやむなく当該発券会社あるいはその依頼を受けた関係先にこれを買取らせたというものであってその実質において商法上禁止されている自己株式取得(商法第二一〇条)を余儀なくさせるばかりでなく、いわれなく不必要な財産上の出捐をさせる結果を招来するなど経済信義上是認し難いものがあるし、またその手段においても、商取引上事業会社の日常業務において通常受忍すべき程度、範囲をはるかに越えるものがある等そのいずれの面からみても相当性の範囲を明らかに逸脱したものであり、商取引に名を藉りた違法の行為であると断ぜざるを得ない。

第七、法人税法関係における当事者の主張に対する判断

一、弁護人および被告人鈴木の有価証券売却益についての主張および右主張に対する当裁判所の判断

(一)、弁護人の主張

本件有価証券売却益中、新光製糖、帝国ピストン、日本化学の三銘柄(以下、単に「三銘柄」という。)の売却益合計九、三二五万九、四五〇円および浅野物産、第一電工、中央繊維、東都水産、日曹製鋼の五銘柄(以下、単に「五銘柄」という。)の売却値と当日市場値との差額(以下、単に「プレミアム」という。)合計九、九二六万五、〇〇〇円(以上合計一億九、二五二万四、四五〇円)は、いずれも被告人鈴木個人の所得であって被告会社の所得を構成するものではない。即ち、被告人鈴木は、本件株式売買がきわめて大規模のもので到底被告会社の附随的業務とは認め難いものであったこと、また被告会社は被告人鈴木のいわゆるワンマン会社であって本件株式売買も実質的にはほとんど専ら同被告人の力量、手腕と昼夜を分たぬ非常な努力によって行われたものであったこと等の諸点から、本件株式売却益を被告会社に帰属させるかあるいは被告人鈴木個人に帰属させるかについて自由に決定しうる立場にあったところ、昭和三五年三月期の決算時において、それまで未決定であった本件株式売却益の帰属について、前記三銘柄の売却益及び五銘柄のプレミアム分は被告人鈴木に帰属するもの、またその余の株式売却益はすべて被告会社に帰属するものとそれぞれ決定したものであるから、本件有価証券売却益中、前記三銘柄の売却益および五銘柄のプレミアム分合計一億九、二五二万四、四五〇円は、被告人鈴木個人の所得であって被告会社の所得を構成するものではない。

(二)、被告人鈴木の主張

本件株式売買はすべて被告人鈴木個人の行為であったところ、同被告人は前記決算時において、前記三銘柄の売却益および五銘柄のプレミアム分を除いたその余の売却益を被告会社に贈与し右三銘柄の売却益および五銘柄のプレミアム分についてはこれを贈与しなかったものであるから右三銘柄の売却益および五銘柄のプレミアム分合計一億九、二五二万四、四五〇円は被告人鈴木個人の所得であって被告会社の所得を構成するものではない。

(三)、右各主張に対する当裁判所の判断

まず、本件株式売買が被告会社の行為として行われたものであるかあるいは被告人鈴木個人の行為として行われたものであるかについて検討する。

(イ)、第一二一回公判調書中の被告人鈴木の供述記載

(ロ)、同被告人の検察官に対する昭和三七年一一月三〇日付、同年一二月三日付および同月七日付各供述調書

(ハ)、第九四回、第九八回各公判調書中の証人吉田敬作の供述記載、第九〇回、第九五回および第一一三回各公判調書中の同小倉寿夫の供述記載、第一〇七回、第一一三回各公判調書中の同吉永一之の供述記載ならびに第一一六回公判調書中の同岡安賢次の供述記載

(ニ)、高木敏男作成の登記簿謄本

(ホ)、押収してある総勘定元帳二冊(昭和四〇年押第一〇六九号の二および三)、同昭和三五年決算書試算表一袋(同押号の四)中の昭和三五年三月末決算資料と題する試算表、同損益計算書一枚(同押号の二七)ならびに同貸借対照表二枚(同押号の二八)

によれば、被告人鈴木は、昭和三三年七月被告会社の代表取締役に就任するや、まず新潟県妙高のスキー場の建設に、ついで昭和三四年四月頃同市内の宅地造成にそれぞれ着手し、被告会社を被告人鈴木の事業の拠点にすべくその発展に力を注いだものであること、しかるに、右各事業を遂行するためには多額の長期資金が必要であったが、被告会社にはいまだ対外的信用がなく、その資金は専ら被告人鈴木の個人的信用を基礎とした相互銀行からの短期借入金に求めざるをえなかったので、被告人鈴木はこれらの短期借入金をそのまま事業に投入していたのでは到底金利負担にも耐え得ないものと苦慮した結果、これを一時短期に操作し、それによって得た利益によって事業資金を賄おうと考え、本件株式売買を始めるにいたったものであること、そして右株式売買は被告会社の職員を動員し、被告会社の資金によって行われたもので、その利益は前記事業に投入されるとともに、被告会社の職員の給料等被告会社の諸経費あるいは株式売買費用、借入金の利息支払等に当てられ、また経理上も、本件株式売買は被告会社の行為でありその利益は被告会社に帰属するものとして処理されていたことが認められる。以上認定の事実によれば、本件株式売買は被告会社の事業資金ねん出のために被告会社の組織を通じて行われ、その利益は被告会社の資金として使用されたものであるから、たとえそれがきわめて大規模のものであったとしても被告会社の附随的業務として行われたものと認めるべきであり、したがってそれは被告会社の行為でありその利益は被告会社に帰属するものといわざるをえない。

そこで次に三銘柄の売却益および五銘柄のプレミアム分が被告人鈴木個人の所得であったかどうかについて検討するに、前掲各証拠によれば、右三銘柄及び五銘柄の売買についても、それらの売買資金、売買方法、経理処理等はいずれも他の銘柄についてのそれと同一であって、とくに右各銘柄についてのみ被告人鈴木個人の行為として行われたものであったとする証拠はなく、またかりに、後に右各銘柄が被告会社から被告人鈴木に贈与されたものとしても、それは実質的には同被告人に対する役員賞与の性質をもつものであるから、同被告人が右各銘柄に対して私法上の権利を有することは格別、税法上はこれを被告会社の所得から控除することはできないものといわなければならない。してみれば、三銘柄の売却益および五銘柄のプレミアム分を含め本件株式売却益はすべて被告会社の所得であるというべきであるから、これに反する弁護人等の主張は理由がないものといわなければならない。

二、弁護人の受取利息についての主張および当裁判所の判断

(一)、弁護人の主張

本件受取利息金中には、被告会社がその預金として公表したものの利息の外に、被告人鈴木やその娘鈴木弘子等の個人名義あるいは株式会社東邦等被告会社以外の法人名義の預金利息も含まれているもので、これらの預金中には被告会社の資金と認められるものの利息と被告会社のものでない資金の利息とが混淆しているものであるから、刑事々件の建前からいって公表の預金利息以外の預金利息はすべて被告会社の所得でないものとして処理すべきである。

(二)、右主張に対する当裁判所の判断

なるほど本件簿外の預金利息中には、個人名義、架空人名義及び被告会社以外の法人名義の預金利息も含まれているけれども、

(イ)、被告人鈴木の検察官に対する昭和三七年一二月四日付供述調書

(ロ)、第九四回及び第九八回各公判調書中の証人吉田敬作の供述記載、第九六回及び第一〇二回各公判調書中の証人志賀正好の供述記載ならびに第九八回公判調書中の同外山登美男の供述記載

(ハ)、押収してある総勘定元帳三冊(前同押号の九)によれば、

被告会社の借入れた資金が前記各預金に入れられあるいは被告会社の借入金の返済が右各預金からなされている等右各預金中には被告会社の資金の出入りが認められること、しかもその出入りはきわめて頻繁でありかつ多額であること、預金口座に使用された法人は、いずれも実在の法人ではあるけれども何らの事業も行なっていない全くの休眠会社であったこと、被告会社が公表した預金口座中にも被告会社以外の法人名義の口座があり、また逆に簿外にした口座中にも被告会社名義の口座があったこと、被告人鈴木自身、同被告人は本件株式売買のために妻子の預金まで被告会社につぎ込んだ旨供述していること(前掲検察官調書)等の事実が認められ、右各事実を総合して考えれば、本件預金はその名義の如何を問わず実質的にはすべて被告会社の預金であり、したがってその利息は被告会社の利息であったと認めるのが相当である。なおかりに、右預金中に個人的用途に使用された金が混入していたとしても、それは単に、被告会社とその個人との間に私法上の貸借関係あるいは不当利得、不法行為等の法律関係が生ずるに過ぎないのであって、本件預金が被告会社のものであることに変りはない。たゞ、被告人鈴木が被告会社に関与するにいたった昭和三三年七月一七日以前に預け入れられた預金および設定日不明の預金についてはこれを被告会社の資金と認めることはできないから、この分についての利息は被告会社の所得から控除することとする。

三、弁護人の不明入金についての主張および当裁判所の判断

(一)、弁護人の主張

本件不明入金は、文字どおり原因が不明の入金であるところ、入金は必ずしも収益を意味しないから、これを収益として処理することは不当であり、また不明入金と不明出金との差額だけを損金として認容することも、結局推測をもってしても結びつかないものを結びつけようとするものであるから不当な処理というべきである。よって本件不明入金は全額被告会社の収益ではないものとして処理すべきである。

(二)、右主張に対する当裁判所の判断

第九四回、第九八回各公判調書中の証人吉田敬作、第九四回及び第一〇〇回各公判調書中の同岸野武男の供述記載、第九八回公判調書中の同外山登美男の供述記載によれば、

本件不明入出金というのは、被告会社の取引銀行、取引証券会社等の調査あるいは被告会社の内部記録の検討等から得られた諸種の資料から被告会社の期中の現金の変動をすべて把握し、その結果、出金の事実は明確であるけれどもその出金の源資となる入金の経路が不明である場合にこれを不明入金とし、逆に入金の事実は明確であるけれどもその使途が不明である場合にこれを不明出金とし、その差額を収益または損費として処理することによって現金勘定を損益計算書の中で把握したものであることが明らかである。右事実によれば、不明入金は弁護人主張のとおり原因不明の入金であるから、その中には預金の引出し、現金の借入れ、貸付金の回収あるいは増資資金の受入れ等いわゆる損益取引に属さない行為による入金が含まれている可能性も考えられるけれども、前記各証人の各供述記載によれば、国税局による本件調査はいわゆる全面調査であって、東京国税局を中心として大阪、名古屋、金沢等の各国税局が多数の職員を動員し、約一年にわたって被告会社および被告人鈴木の取引銀行、取引証券会社、その他の取引先等被告会社ならびに被告人鈴木に関連する一切の取引を徹底的に調査し、さらに被告会社の帳簿、伝票等の内部資料を検討して被告会社の期中の全取引を把握し、これを基礎として被告会社の現金の変動を仕訳、帳簿化していったものであることが明らかであるから、不明入出金とはいっても、それは把握された被告会社の取引の範囲内での現金の出入であり、ただその現金の出入を個々的に見た場合には入金の経路あるいは出金の使途が不明であるというにすぎないのであって、これを被告会社の全取引の中で観察すれば相互に関連し結びつきのあるものということができる。してみれば本件不明入金は被告会社の全取引の中で観察すれば不明出金と整理相殺しうる性質のものであり、したがって不明入金と不明出金との差額を被告会社の損金と認定した検察官の処理は妥当な処理というべきであるから、結局弁護人の主張は理由がないものといわなければならない。

四、弁護人の雑損の主張および当裁判所の判断

(一)、弁護人の主張

被告会社は、昭和三四年三月期末において、菊地与吉に対し九、四七七万四、九四五円の貸付金を有していたところ、その後その額は累積して同年四月下旬には合計一億〇、三五〇万円に達し、その支払期日は同年六月二四日であったが、同人の財産状態は極度の債務超過で支払不能により右貸付金の支払を受けることができず、その後も同人の財産状態は好転することなく推移し、昭和三五年三月期末において、被告会社の同人に対する貸付金は全く回収の見込はなかったものであるから、これを貸倒損として雑損処理すべきである。なお、右貸付金は、取引当時においては被告人鈴木個人が貸付けたものであったが、昭和三四年三月期決算時において、被告会社の増資に対する実質的な現物出資の形で被告人鈴木が被告会社に繰り入れたものである。

(二)、右主張に対する当裁判所の判断

(イ)、被告人鈴木の検察官に対する昭和三七年一二月五日付供述調書、

(ロ)、裁判所の証人菊地与吉に対する尋問調書、

(ハ)、第一一八回公判調書中の証人山中正浩の供述記載、第一一九回公判調書中の同大泉製正の供述記載、第一二〇回公判調書中の同堤歴治および同吉田敬作の各供述記載

(ニ)、高木敏男作成の登記簿謄本

(ホ)、押収してある昭和三五年度決済書試算表一袋(前同押号の四)中の昭和三四年三月三一日決算報告書、同総勘定元帳一冊(同押号の一六)、同静岡地裁沼津支部民事既済事件記録二冊(同押号の二五、二六)によれば、

弁護人主張の貸付金発生の経違は次のとおりである。

被告人鈴木と菊地とは、昭和二〇年頃、共に東海地方において被告人鈴木は宝無尽株式会社を、菊地は伊豆無尽株式会社(昭和二三年大洋無尽株式会社と商号変更、昭和二六年大洋相互銀行に昇格、昭和三二年静神相互銀行と合併して静岡相互銀行となり現在にいたる。)を経営していたことから相知るようになったが、その後、被告人鈴木が刑事被告人となった小島アヱ事件の公判において菊地が被告人鈴木に好意的な証言をしてくれたことなどから、被告人鈴木は、常々菊地に感謝の念を抱いていた。昭和三二年、菊地の経営する大洋相互銀行は静神相互銀行と合併して商号を静岡相互銀行と変更し、大洋相互側の菊地が社長に、静神相互側の山田忍三が会長になって新発足したが、菊地派としては、大洋相互が資本金および預金量において静神相互を圧していたのにかかわらず対等の条件で合併したことに不満を持っていたことや、山田派が、菊地の従前の銀行経営上のミスを責めるような態度に出たことなどから、両派の間には合併当時から対立的な空気があった。一方その頃、菊地は、大和広良の経営する大和館および静浦ホテルの買収を意図し、その資金を金融業者森脇将光に仰いでいたところ、折から山田派の攻撃にあって、これが返済のやむなきにいたり、返済資金のねん出に苦慮した結果、昭和三三年六月頃被告人鈴木に資金援助を懇願するにいたったが、被告人鈴木は当時前記のとおり菊地に対し感謝の念を抱いていたところから菊地の懇請をいれ、森脇に現金を持参して菊地が森脇に差し入れていた手形を取り戻し、これを菊地に返還するとともに、別に菊地から、菊地振出、大和広良裏書または大和振出、菊地裏書の手形を受けとることによって、昭和三三年一〇月頃から同三四年二月頃までの間に九、四七七万四、九四五円を菊地に貸付けた。その後その額は累積して同年四月下旬には合計一億三、三五〇万円に達し、その支払期日は同年六月二四日であった。なお、これとは別にその頃前記菊地派と山田派の対立はますます激化し、山田派がひそかに静岡相互銀行の株式の買集めを始めたことに端を発し、両派競って同株式の買集めに狂奔するにいたったが、当時資金的に枯渇していた菊地は右株式買集め資金についても被告人鈴木の援助を仰ぎ、右資金をもって自派の支店長等に株式を買い集めさせることによって山田派に対抗した。かくして菊地は、昭和三四年一月頃、当時の発行株式総数六〇〇万株中四〇〇万株を手中に収めて、ここに株式買集め競争は菊地派の勝利に終り、同年四月の株主総会において菊地が会長に、堤歴治が社長に選任され、山田派の役員は総退陣して全役員を菊地派で独占するにいたった。右株式買集めにおいて、被告人鈴木は菊地に約二億円を貸し付けたが、この貸付金は、被告人鈴木が菊地から株券四〇〇万株(うち六〇万株については株式払込金領収証)を受け取ったことによって清算されているので結局被告人鈴木の菊地に対する貸付金は、昭和三四年四月下旬現在において、前記大和館、静浦ホテル関係の一億三、三五〇万円であった。

以上の事実によれば、被告人鈴木の菊地に対する資金援助は、いずれも同被告人が菊地の恩義に感じて同人を個人的に援助するためにしたもので、同被告人個人の行為あったものと認めるのが相当である。

そこで次に、右被告人鈴木個人の菊地に対する貸付金が昭和三四年三月期決算時において被告会社に繰入れられたものであるか否かについて検討する。

(イ)、第一二一回公判調書中の被告人鈴木の供述記載、

(ロ)、同被告人の検察官に対する昭和三七年一一月三〇日付および同年一二月三日付各供述調書、

(ハ)、第一〇七回および第一一三回各公判調書中の証人吉永一之の供述記載、

(ニ)、高木敏男作成の登記簿謄本、

(ホ)、押収してある昭和三五年決算書試算表一袋(前同押号の四)中の昭和三四年三月三一日決算報告書、同総勘定元帳一冊(同押号の一六)によれば、

被告人鈴木は、昭和三三年七月、被告会社の代表取締役に就任するや、まず前記妙高のスキー場の経営に、次いで昭和三四年四月頃前記新潟市内の宅地造成にそれぞれ着手したが、当時被告会社においては、経理記録としては被告人鈴木の手控えのためのノート程度しかなかったので、これを充実させるべく、同年四月頃吉永一之に伝票、帳簿の作成および同年三月期の決算を命じたこと、被告会社の資本金は被告人鈴木が代表取締役に就任して以来数回にわたって増資され昭和三三年一二月末頃現在において一億円に達していたが、右増資はいずれもいわゆる見せ金による増資であったため昭和三四年三月末当時において、被告会社には右資本金に見合う資産が何もなかったこと、そこで被告人鈴木は、従前同被告人がつけていたノートやその所有していた預金証書、株券等同被告人の従前の取引に関する一切の資料を吉永に手渡し、同人をしてその中から前記資本金に見合う資産を抽出させて被告会社の資産として計上していったこと、前記菊地に対する貸付金中九、四七七万四、九四五円も、右の方法によって昭和三四年三月期決算時において被告会社の資産として計上されるにいたったものであることの諸事実が認められるので、以上の事実を総合して判断すると、昭和三四年三月期決算時において、従来被告人鈴木の個人資産であったものが、被告会社の資産として計上されるにいたったのは、実質的には被告会社の増資に対する現物出資の意味をもつものと考えられるから、本件菊地に対する貸付金も同決算時において被告会社の資産となったものと認めるのが相当である。しかしながら、同決算時において被告会社の資産として計上された菊地に対する貸付金は九、四七七万四、九四五円のみであるから、その余の貸付金については現物出資がなされたものと認めることはできず、またこれが被告会社に譲渡されたと見るべき証拠はないから、結局、同決算時において被告会社の資産となった菊地に対する貸付金は、右九、四七七万四、九四五円にとどまるものというべきである。

そこで進んで、右貸付金が昭和三五年三月末現在において貸倒れの状態にあったかどうかについて判断する。前掲各証拠ならびに第一〇六回、第一一五回各公判調書中の証人米本卯吉の供述記載を総合してみると被告人鈴木は、菊地に対して前記資金援助をするに際し、菊地といわゆる「菊地内閣」が成立した暁には静岡相互銀行が被告人鈴木の融資依頼に応ずる旨の約束をしていたが、同銀行が右約束を履行せず被告人鈴木の融資申込みを拒絶したところから同被告人は資金的に窮地に立ち、その結果昭和三四年六月頃、同銀行の株式三四〇万株(残り六〇万株については株式払込金領収証しかなかったので売却できなかった。)を本件五反田土地と共に丸善石油に売却してしまったこと、右売却によって、菊地等同銀行の役員はその基礎を失い、同年七月全員退陣したものであることが認められる。ところで裁判所の証人菊地与吉に対する尋問調書さらに第一二〇回公判調書中の証人堤歴治の供述記載によれば、菊地はその生涯を一貫して静岡相互銀行の経営者として生きてきたのであるが、個人的にはかなりの負債を有し、その有する資産もほとんどすべてその負債に対する担保に供されていたこと、したがって個人的信用は全くなく、銀行経営者としての地位を背景としてのみわずかに経済的信用を維持していたにすぎないことが明らかであるから、菊地が銀行経営者たる地位を失ったことによって、同人に対する貸付金は全く回収不能におちいったものと認めざるをえない。してみれば、被告会社の菊地に対する貸付金九、四七七万四、九四五円は、昭和三五年三月末において既に貸倒れの状態にあったものと認むべきであるから、同額を雑損として認容することとする。

五、弁護人の犯意、不正行為および法人税ほ脱犯の成立範囲についての主張ならびに当裁判所の判断

(一)、弁護人の主張

法人税ほ脱犯が成立するためには、法人税ほ脱の事実の外に故意および詐偽その他の不正行為を必要とするところ、法人の所得は伝票財務諸表等の各勘定科目内の各個の取引を計算累積することによって算出されるものであり、したがって脱税する場合には右一定の取引の金額計算をごまかすという方法をとるものであるから、法人税ほ脱犯の成立範囲は故意および詐偽その他の不正行為のあった範囲に限られるものというべきである。これを本件についてみると、被告会社の法人税申告が一ケ月遅れたのは、創業後日浅く、経理事務組織が整備されていなかったため決算が間に合わなかったからで、故意に申告期限を徒過したものではないから、少くとも公表部分については脱税の意思はなかったものであり、また、かりに被告会社に検察官主張のような不正行為があったとしても、本件法人税申告期限である昭和三五年五月三一日(起訴状記載の犯罪成立の日)現在において不正行為の行われていたのは有価証券売却益中、前記五銘柄のプレミアム分だけであるから、同日において成立した法人税ほ脱犯は前記五銘柄のプレミアム分だけということにならざるをえないものである。

(二)、右主張に対する当裁判所の判断

法人税ほ脱犯は、詐偽その他の不正行為により所得を秘匿したうえ、所定の法人税納期限までにその納付すべき正当な税額を納付せず、国の法人税収入を減少させることによって成立する犯罪である。したがって法人税ほ脱犯の成立要素たる行為は、詐偽その他の不正行為および所定の法人税納付期限までにその納付すべき正当な税額を納付しないという行為(不作為)であり(いわゆる過少申告ほ脱犯の場合には、過少申告そのものが不正行為であると同時に、正当な税額を納付しないという行為でもある。)、またその結果は、本来国が収納すべき法人税収入の減少ということであるから、法人税ほ脱犯は、いわゆる過少申告ほ脱犯にあっては、納期限の徒過と同時に正当税額と申告税額との差額について、またいわゆる無申告ほ脱犯にあっては、納期限前に不正行為の行われた場合は、右期限の徒過と同時に、右期限徒過後に不正行為の行われた場合には不正行為と同時に、いずれも正当な税額全部について成立するものと解するのが相当である。また犯意については、詐偽その他の不正行為により所得を過少に申告しあるいは無申告のまま所定の納期限を徒過して国の法人税収入を減少させることを概括的に認識することをもって足り、一部の勘定科目について脱漏ないし架空計上の認識がなかったなどということは情状に影響を及ぼすことは格別として犯罪の成否には関係がないというべきである。(ちなみに、いわゆる過少申告ほ脱犯にあっては、正当税額から申告税額を控除した残余の税額をもってほ脱税額であるとしているのは、申告税額については犯意がなかったためではなく、その分については国の法人税収入の減少がなかったからに外ならない。

そこで、本件について被告人鈴木に詐偽その他の不正行為があったかどうかについて検討する。

(イ)、第一二一回公判調書中の被告人鈴木の供述記載、

(ロ)、同被告人の検察官に対する昭和三七年一二月三日および同月七日付各供述調書、

(ハ)、第一〇二回および第一〇四回各公判調書中の証人小倉寿夫の供述記載ならびに第一〇七回および第一一三回各公判調書中の同吉永一之の供述記載、

(ニ)、林薫(三項のみ)、大田義明、山口勝巳(三項を除く)の検察官に対する各供述調書、

(ホ)、押収してある法人税確定申告書一綴(前同押号の一)、同総勘定元帳五冊(同押号の二、三および九)、同昭和三五年決算書試算表一袋(同押号の四)中の昭和三五年三月末決算資料と題する試算表及び総合残高試算表、同損益計算書一枚(同押号の二七)、および同貸借対照表二枚(同押号の二八)によれば、被告人鈴木は、従来被告会社においては経理記録が整備していなかったので、これを整備すべく、昭和三四年五月頃から被告会社の毎日の全取引について吉永一之に伝票を起させ、これを山口勝巳、大田義明に記帳(前同押号の二及び三の総勘定元帳)させていたところ、東都水産、第一電工、浅野物産、中央繊維の四銘柄の株式売却代金については、各売却時においていずれもそのプレミアム分(合計七、五七六万五、〇〇〇円)を簿外にするよう吉永に指示し、吉永は右指示に基づいて、いずれも被告会社の本件法人税納期限である昭和三五年五月三一日以前に、右四銘柄につき売却当日の市場値をもって実際売却値である旨の伝票を起し、そのプレミアム分についてはいずれも簿外としたものであること、その後、右伝票、帳簿に基づいて決算を行なうことになったが、経理職員の数および経理知識の不足等の事由から、本件法人税納期限である昭和三五年五月三一日までに決算が間に合わず、遂に右期限を無申告のまま徒過したこと、その后同年六月中旬頃、小倉寿夫、吉永一之等被告会社の経理職員および担当公認会計士林薫が一同に会し前記伝票、帳簿に基づいて吉永が作成した試算表(前同押号の四のうち)を基礎として決算の打合せを行ない、一応納付すべき法人税額を算出して被告人鈴木に報告したところ、同被告人は税額が多すぎるとして利益を削減することを命じたので、小倉等は右被告人鈴木の意思にそうべく前記三銘柄および五反田の土地の各売却益を被告会社の所得から削除して同年六月三〇日法人税の確定申告を行なったものであることが認められる。以上認定の事実によれば、被告人鈴木は、吉永、山口、大田の作成した伝票、帳簿(前同押号の二および三の総勘定元帳)に基づいて法人税の確定申告を行なう意思であったことが明らかであるから、前記四銘柄のプレミアム分合計七、五七六万五、〇〇〇円の脱漏は法人税ほ脱の意思でしたものと認めざるを得ない。被告人鈴木は、右四銘柄のプレミアム分の脱漏は、脱税の意思でしたものではなく、買主から簿外にするよう依頼されたためであったとか、あるいはやくざや事件屋に与える資金にするためであったと弁解しているけれども、かりに買主からの依頼があったとしても脱税の意思がなかったとはいえないし、またやくざや事件屋等に与える資金であるためにはあまりに金額が大きすぎて、これまた脱税の犯意を否定すべくもないものといわざるをえない。してみれば、被告人鈴木は、本件法人税納期限である昭和三五年五月三一日以前に法人税ほ脱の意思で不正行為を行ない、かつ同日までに法人税を納付しないでその期限を徒過したものであるから、同日の徒過と同時に被告会社の納付すべき全法人税額について法人税ほ脱犯が成立したものというべきである。なお、法人税納期限の徒過が不可抗力等真にやむをえない事由によったもので、かつ右事由のやんだ後直ちに法人税を納付した場合には、いわゆる無申告ほ脱犯は成立しないものと解すべきであるが、本件にあっては、単に経理職員の数および経理知識の不足等の事由から決算が遅れたというにすぎないのであって、被告人鈴木としては、このようなことは当初から十分予測しえ、その手当も十分行ないえたところであるから、これをもって無申告ほ脱犯の成立を否定するやむをえない事由には当らないものというべきである。また、前記三銘柄及び五反田土地の各売却益の脱漏は法人税ほ脱の意思で行われた不正行為であることは明らかであるけれども、すでに犯罪の成立した後の行為であるから、いわゆる不可罰的事後行為であって犯罪の成否に影響をおよぼすものではない。

六、検察官の静岡相互銀行株式売却益についての予備的主張及び当裁判所の判断

(一)、検察官の主張

静岡相互銀行株式売却益は被告会社の所得である。

(二)、右主張に対する当裁判所の判断

すでに四において認定したとおり、被告人鈴木の静岡相互銀行株式の取得行為は同被告人個人の行為であったところ、その後売却にいたるまでの間に同株式が被告会社に繰入れられあるいは譲渡された形跡は認められないから、同株式の売却益は被告会社の所得ではない。よって検察官の主張は理由がないものとしてこれを採用しない。

第八、法令の適用

判示第三の一、二、七、一〇の各事実はいずれも刑法二四九条一項に、同第四の事実は被告人鈴木について昭和四〇年法律三四号附則一九条、同法律による改正前の法人税法四八条一項、二項に、被告会社について同法五一条一項、四八条一項、二項に、同第三の三、四、五、六、八、九、一一の各事実は関係各被告人につきいずれも刑法六〇条、二四九条一項に、同第三の一二の事実は関係各被告人につきいずれも同法六〇条、二五〇条、二四九条二項にそれぞれ該当するところ、被告人鈴木の第四の罪については所定刑中懲役刑を選択し、各被告人につき(被告会社を除く。)以上はいずれも同法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文、一〇条によりいずれも犯情の最も重い第三の四の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で次に量刑事情の項で説明するとおり

被告人鈴木を懲役三年に、同小倉および同福川を各懲役一年にそれぞれ処し、

被告会社については所定罰金額の範囲内で罰金一、〇〇〇万円に処し、

被告人小倉および同福川につき情状によりいずれも同法二五条一項を適用して本裁判確定の日から各三年間右それぞれの刑の執行を猶予することとし、

訴訟費用については刑訴法一八一条一項本文、一八二条を適用して主文掲記のとおり各被告人および被告会社にこれを負担させることとする。

(量刑の事情)

被告人鈴木、同小倉、同福川の判示第三の各犯行は房総観光の事業資金を獲得するため、被告人鈴木の豊富な株式取引の経験に鑑み証券取引と株式会社経営の現状およびその弱点をつき敢行されたものであって、まずその手段において判示認定のとおりいずれも商法上の権利行使に藉口した巧妙なものがあり、かつ手口の大胆なことも加えて、きわめて悪質と言わなければならないし、さらにまた右の犯行に投じられた資金量および犯行による利得がいずれも莫大であったうえ、犯行がきわめて短期間のうちに東西両証券市場を席巻して反覆累行されたことは、被害会社がいずれも当時業界においていわば中堅級の会社であったことと相まって、これが業界ことに証券業界に与えた影響はすこぶる大きくかつ深刻なものがあり、この点において被告人等は強くその責任を問われなければならない。

ただ、かかる事態に遭遇した会社経営者等のうちには、毅然としてこれに抗する態度を示すことなく、不必要に被告人鈴木の勢威におびえて周章狼狽し、あるいはその収拾を急ぐのあまりなんら対抗手段を講じなかったものが多く見受けられ、このような会社経営者等の態度が、被告人等の右の犯行を容易にさせかつこれを助長させたものと思われるのであって、この点は量刑上考慮されなければならない。

また判示第四の法人税法違反の点については、その後本税、重加算税とも納付されている状況が認められるけれども、なにぶんほ脱税額が大きく、その犯情も決して軽いとはいえないものがある。

つぎに被告人等の犯情を個別的に検討すると、まず被告人鈴木は、同被告人のこれまでの経歴、事業歴の示すように、洞察力に優れ、よく部下を掌握して事業を興すなど、経済的手腕力量においてすぐれたものがあり、事業経営上の金融および取引の決済等につき第三者に迷惑を及ぼしたと認められることもない等の点において酌むべきものがあると思われるが、同被告人は本件各犯行の主犯であるばかりでなく、すでに前件私文書偽造、同行使詐欺等被告事件において第一審で実刑の判決を受けており、控訴の結果原審判決後の情状等により原判決は取消され執行猶予の判決があったが本件犯行は右実刑判決に対する控訴審の審理中に始められたものであったこと、そしてまた本件を通じて、前記被告事件において控訴審が判決中で指摘した「利得の為めには其の手段を選ばない」という同被告人の誤った経済観、社会観がいまだ是正されないこと、その他諸般の情状を勘案し、同被告人に対しては実刑を科するのもやむを得ないことと考える。

つぎに被告人小倉、同福川の両名については、いずれも被告人鈴木の片腕として本件各犯行において果した役割は重要であり、被告人鈴木とともに刑事責任を負うべきは当然であるが、両名とも被告人鈴木の意を受け房総観光の役員または社員等としてその意にそうよう終始行動したもので、いわば従的立場にあったものであるほか同被告人等の従来の経歴等に徴するとき、これらに実刑をもってのぞむのは刑政上必ずしも当を得たものではないと考える。

第九、無罪部分の説明

一、本件公訴事実中

(一)  第一電工株式会社関係

被告人鈴木は東京都千代田区丸の内二丁目二番地所在第一電工株式会社(以下単に第一電工または会社と略称する)の株式を大量に買集めて株価をつり上げたうえ、同株式の大量の所有者であることを利用し、第一電工経営者あるいはその関係先に対し、これを高価に売り付けて不正に利得しようと企て、昭和三四年六月五日ごろ、その株価が一〇三円位の時期から同社株式の買集めを始めたうえ、同月二三日ごろから二六日ごろまでの間四回にわたり同被告人の前記事務所を訪問した同会社常務取締役松原美義に対し経営参加の意図あるが如くほのめかし、すでに三七万株位買集めているが買取りたいというのであれば単価二〇〇円位なら売ってもよい旨を申し向けて当時の相場価格よりはるかに高い価格での買取りを求め、もしこれに応じなければ、更に買集めを続け大株主として株主総会に出席し現経営者の退陣を求め、株主総会を混乱させるなど大株主としての権利行使に藉口する嫌がらせによって会社の将来の経営、日常業務の遂行上いかなる妨害が及ぶかもしれない旨を暗示して同人を畏怖困惑させたうえ、同年同月二十六日ごろ右松原をして、同被告人の持株全部を一株につき一八五円(当日の最終市場価格一三三円)の割合で買取ることを承諾させ、よって同社株式三七万四、〇〇〇株の売却名下に、

1. 同年同月二七日同被告人の前記事務所において、右松原から、現金一、〇〇〇万円、

2. 同月二九日同所において同人から現金一、〇七五万円、

3. 同月三〇日同所において同人から株式会社安田信託銀行本店振出自己宛小切手一通及び株式会社七十七銀行東京支店振出自己宛小切手一通金額合計四、八六二万円

の各交付を受けてこれらを喝取し、

(二)、日曹製鋼株式会社関係

被告人鈴木は東京都千代田区大手町一丁目四番地所在日曹製鋼株式会社(以下単に日曹製鋼または会社と略称する)の株式を大量に買集めて前記(一)と同様の方法により不正に利得しようと企て昭和三四年六月五日ごろその株価が五〇円台の時期から同社株式の買集めを始めたうえ、同月二二日六万株、同月二四日一四万六、五〇〇株、同日一万三、〇〇〇株と順次鈴木一弘名義に名義書換請求をなして、すでに大量の株式を買集めており今後も更に買い続ける気配を暗に示すことによって同社経営者に対し、同被告人が株主名簿閲覧謄写請求、商業帳簿類閲覧謄写請求、累積投票請求等の方法を通じ、会社の経営、日常業務の遂行上いかなる妨害を及ぼすかも知れないとの懸念を生ぜしめ、さらに同年七月一一日ごろから同月一三日ごろまでの間被告人鈴木の前記事務所において元山富雄、堀口秀真を介し、同会社代表取締役社長大矢根大器治の依頼を受けた同社総務部長黒住康男に対し、会社側の右困惑に乗じ、当時の株式相場よりはるかに高い単価一〇〇円での買取りを求め、もしこの申入れに応じなければ、さらに買集めを続け同被告人の大株主としての権利行使に藉口する嫌がらせによって会社の将来の経営、日常業務の遂行上いかなる妨害が及ぶかも知れない旨を暗示して右大矢根等同社経営者を畏怖させたうえ、同年同月一三日同社経営者をして同被告人の持株全部を一株につき一〇〇円(当日の最終市場価格七五円)の割合で買取ることを承諾させよって

1. 同年同月一三日東京都中央区日本橋兜町二丁目三〇番地所在高井証券株式会社において、日曹製鋼株式五〇万株の売却名下に、前記黒住から直接あるいは高井証券常務取締役金田泰一を介し現金合計五、〇〇〇万円、

2. 翌一四日同所において、日曹製鋼株式五〇万株の売却名下に黒住から直接あるいは右金田を介し現金五、〇〇〇万円

の各交付を受けてこれを喝取し

(三)、野崎産業株式会社関係

被告人鈴木は東京都中央区日本橋通一丁目六番地所在野崎産業株式会社(以下単に野崎産業または会社と略称する)の株式を大量に買集め前記(一)と同様の方法により不正に利得しようと企て、昭和三四年七月中旬頃其の株価が八〇円台の時期から同社株式の買集めを始め、同年七月二七日四万九、〇〇〇株、翌二八日二万九、五〇〇株、翌二九日六、五〇〇株、同月三一日六万三、〇〇〇株と順次鈴木一弘名義に名義書換請求をして、すでに大量の株式を買集めており今後もさらに買続ける気配を暗に示すことによって同社経営者に対し、同被告人が株主名簿閲覧謄写請求、商業帳簿類閲覧謄写請求、累積投票請求等の方法を通じ、会社の経営、日常業務の遂行上如何なる妨害を及ぼすかも知れないとの懸念を生ぜしめ、さらに同年同月三一日被告人鈴木の前記事務所を訪問した同会社代表取締役社長野崎二郎に対し、会社側の右困惑に乗じ単価一三〇円での買取りを求めもしこの申入に応じなければさらに買集めを続け、同被告人の大株主としての権利行使に藉口する嫌がらせによって会社の将来の経営、日常業務の遂行上如何なる妨害が及ぶかもしれない旨を暗示して右野崎等同社経営者を畏怖させたうえ、即日野崎をして同被告人の持株全部を一株につき一三〇円の割合で買取ることを承諾させ、よって同日前記野崎産業事務所において同社取締役総務部長宮沢健介から、同社株式二九万株の売却名下に同社振出株式会社東京銀行本店払小切手(額面三、七七〇万円)一通の交付を受けてこれを喝取し、

(四)、浅野物産株式会社関係

被告人鈴木、同小倉の両名は共謀のうえ、東京都千代田区丸の内一丁目六番地所在浅野物産株式会社(同社は昭和三六年七月朝日物産株式会社と合併して、東京通商株式会社となった。尚昭和四一年六月右東京通商は丸紅飯田に吸収合併されているが便宜上以下単に浅野物産または会社と略称する。)の株式を大量に買集めて前記(一)と同様の方法により不正に利得しようと企て、昭和三四年六月末頃その株価が八〇円台の時期から同社株式の買集めを始め同年七月二七日四万五、〇〇〇株、翌二八日三万株、同月三〇日五万七、五〇〇株と順次鈴木一弘名義に名義書換請求をして、すでに大量の株式を買集めており今後もさらに買続ける気配を暗に示すことによって、同社経営者に対し、被告人鈴木が株主名簿閲覧謄写請求、商業帳簿類閲覧謄写請求、累積投票請求等の方法を通じ、会社の経営、日常業務の遂行上いかなる妨害を及ぼすかも知れないとの懸念を生ぜしめ、更に同年同月三一日被告人鈴木の前記事務所を訪問した同会社取締役前島豊純に対し、会社側の右困惑に乗じ「現在すでに約三〇万株買集めているが、買取るというのであれば、今日の終値相場一八九円に四五円のプレミアムをつけて買取ってくれ」との趣旨を申し向けもしこの申入れに応じなければ、さらに買集めを続け被告人鈴木の大株主としての権利行使に藉口する嫌がらせによって会社の将来の経営、日常業務の遂行上いかなる妨害が及ぶかも知れない旨を暗示して同人等会社経営者を畏怖させたうえ、即日同人をして被告人鈴木の持株全部を一株につき二三四円の割合で買取ることを承諾させ、よって

1. 同日前記会社事務所において前島から同社株式一四万七、五〇〇株の売却名下に同社振出株式会社東京銀行人形町支店払小切手二通(額面二、七八七万七、五〇〇円および六六三万七、五〇〇円のもの)

2. 同年八月六日同都中央区日本橋兜町一丁目一番地所在大東証券株式会社において同人から浅野物産株式一三万五、〇〇〇株の売却名下に現金三、〇五三万七、〇〇〇円

の各交付を受けてこれらを喝取し、

(五)、帝国ピストンリング株式会社関係

被告人鈴木は東京都中央区八重洲三丁目七番地所在帝国ピストンリング株式会社(以下単に帝国ピストンまたは会社と略称する)の株式を大量に買集めて前記(一)と同様の方法により不正に利得しようと企て、昭和三四年七月末頃、その株価が八〇円台の時期から同会社株式の買集めを始め、同年八月一九日一三万七、〇〇〇株、翌二〇日七万四、五〇〇株、同月二四日五万株、同三一日二万四、〇〇〇株と順次鈴木一弘名義に名義書換請求をし、すでに大量の株式を買集めており、今後も更に買続ける気配を暗に示すことによって、同社経営者に対し、同被告人が株主名簿閲覧謄写請求、商業帳簿類閲覧謄写請求、累積投票請求等の方法を通じ、会社の経営、日常業務の遂行上いかなる妨害を及ぼすかも知れないとの懸念を生ぜしめ、さらに同年九月一日ごろ東京都港区赤坂新町三丁目一三番地所在大東亜産業株式会社事務所において、元山富雄を介し帝国ピストン代表取締役会長佐藤敏雄、同代表取締役社長鷲尾宥三の依頼を受けた六鹿健治、水谷文一に対し、会社側の右困惑に乗じ、「現在すでに七二万一、五〇〇株買集めているが、買取るというのであれば単価二〇〇円(前日株価終り値一六一円)で買取ってくれ、嫌なら買増す」との趣旨を申し向け、もしこの申し入れに応じなければ、さらに買集めを続け、同被告人の大株主としての権利行使に藉口する嫌がらせによって会社の将来の経営、日常業務の遂行上いかなる妨害が及ぶかも知れない旨を暗示して同社経営者を畏怖させたうえ被告人鈴木の持株全部を単価二〇〇円で買取ることを承諾させ、よって同年同月三日同都中央区日本橋兜町二丁目一番地所在の六鹿証券株式会社において、同証券を介し右佐藤から帝国ピストン株式七二万一、五〇〇株の売却名下に株式会社富士銀行兜町支店振出自己宛小切手(額面七、二一五万円)一通及び現金七、二一五万円(合計一億四、四三〇万円)の交付を受けてこれを喝取し、

(六)、愛知機械工業株式会社関係

被告人鈴木は名古屋市熱田区一番町六丁目一番地所在愛知機械工業株式会社(以下単に愛知機械または会社と略称する)の株式を大量に買集め前記(一)と同様の方法により不正に利得しようと企て、昭和三四年七月二〇日ごろ株価が九〇円台の時期から同社株式の買集めを始め同年九月一六日ごろ五万八、〇〇〇株、同月一八日ごろ三万株、同月二六日ごろ六万三、二〇〇株、同日五万四、二〇〇株、同日四万四、一〇〇株、同月二八日ごろ二、五〇〇株、同月二九日ごろ二万五〇〇株、同月三〇日ごろ五、〇〇〇株と順次河村市治名義に名義書換請求をして同社常務取締役杉岡静憲に対し実際の株主が被告人鈴木一弘である旨を告知させ、すでに大量の株式を買集めており、今後も更に買続ける気配を暗に示すことによって会社経営者に対し被告人鈴木が株主名簿閲覧謄写請求、商業帳簿類閲覧謄写請求、累積投票請求等の方法を通じ、会社の経営、日常業務の遂行上いかなる妨害を及ぼすかも知れないとの懸念を生ぜしめ、更に同年一〇月一日ごろ被告人鈴木の前記事務所から電話で、三宅兼松を介し、同社専務取締役小田邦美に対し、会社側の右困惑に乗じ、当時の相場価格よりはるかに高い単価一一五円での買取りを求め、もしこの申し入れに応じなければさらに買集めを続け、被告人鈴木の大株主としての権利行使に藉口する嫌がらせによって会社の将来の経営、日常業務の遂行上いかなる妨害が及ぶかも知れない旨を暗示して同人を畏怖させたうえ即日同人をして被告人の持株全部を一株につき一一五円(当日の株価終値九一円)の割合で買取ることを承諾させ、よって翌二日ごろ名古屋市中区栄町四丁目一番地所在の株式会社観光ホテル丸栄において、右小田から愛知機械株式二七万七、五〇〇株の売却名下に現金三、一九一万二、五〇〇円の交付を受けてこれを喝取し

(七)、新光製糖株式会社関係

被告人鈴木は大阪市城東区今福北二丁目三〇番地所在新光製糖株式会社(以下単に新光製糖または会社と略称する。)の株式を大量に買集めて前記(一)と同様の方法により不正に利得しようと企て昭和三四年一〇月末ごろその株価が一七〇円台の時期から同社株式の買集めを始めたうえ同年一一月二六日ごろから同月二九日ごろまでの間、同会社等において松本亨を介し同社代表取締役社長米谷甚三郎、同社総務部長尾崎福一に対し、すでに一〇万余株買集めているが単価四〇〇円なら売ってもよい、嫌なら更に買集めて株価を五〇〇円までもってゆく旨を申し向けて、当時の相場価格(同年同月二八日終り値二六四円)よりはるかに高い価格での買取りを求め、もしこれに応じなければ、さらに買集めを続け被告人鈴木の株主総会における発言、商業帳簿類閲覧謄写請求、累積投票請求等の方法を通じ大株主としての権利行使に藉口する嫌がらせによって会社の将来の経営、日常業務の遂行上いかなる妨害が及ぶかも知れない旨を暗示して同人等を困惑畏怖させたうえ同年同月三〇日頃米谷等会社経営者をして被告人鈴木の持株全部を一株につき四〇〇円(当日の株価安値二六〇円、高値三〇六円)の割合で買取ることを承諾させよって同日夜大阪市南区北久太郎町所在料亭吉兆において、会社総務課長柳原慎郎から、同社株式一〇万七、六〇〇株の売却名下に、朝日商事株式会社振出株式会社大和銀行船場支店払い小切手(額面四、三〇四万円)一通の交付を受けて之を喝取し、

(八)、フジ製糖株式会社関係

被告人鈴木、同小倉は共謀のうえ静岡県清水市村松地先新田一一三番地所在フジ製糖株式会社(以下単にフジ製糖または会社と略称する)の株式を大量に買集めて前記(一)と同様の方法により不正に利得しようと企て昭和三五年六月初めごろ、その株価が三一五円位の時期から同社株式の買集めを始めたうえ、同年七月八日頃被告人鈴木の前記事務所において、元山富雄を介し同社常務取締役松沢郷司に対し、すでに約一五万株買集めているが単価八九〇円なら売ってもよい旨を申し向けて当時の相場価格(当日の株価高値六一〇円、従来の高値六二五円)よりはるかに高い価格での買取りを求め、もしこれに応じなければさらに買集めを続けて被告人鈴木の株主総会における発言、株主名簿の閲覧謄写請求、商業帳簿類閲覧謄写請求、累積投票請求等の方法を通じ、大株主としての権利行使に藉口する嫌がらせによって会社の将来の経営、日常業務の遂行上いかなる妨害が及ぶかも知れない旨を暗示して同人等会社経営者を困惑畏怖させたうえ同日右松沢等同社経営者をして、被告人鈴木の持株全部を一株につき八九〇円の割合で買取ることを承諾させ、同年同月一一日頃東京都中央区日本橋通り一丁目一番地所在の野村証券株式会社において受渡しに先立って被告人鈴木の持株全部が一括して持参されなかったことから松沢のこの点に関する不服申入れに対し被告人小倉から右松沢に対し「不服で取引がいやならやめても結構です。それなら今後株主権を十分に行使させて貰います。」との旨を発言して同人を一層畏怖させたうえ

1. 同日、同所でフジ製糖株式一二万株の売却名下に(イ)、野村証券取締役中山二郎から同証券振出、株式会社大和銀行日本橋支店払小切手(額面五、〇〇〇万円)一通および現金二、四四〇万円、(ロ)、松沢から現金三、二四〇万円、

2. 同年同月一四日ごろ、同所で会社株式六万株の売却名下に(イ)、右中山から現金一、八六〇万円、(ロ)、右松沢から現金八一〇万円、

の各交付を受けてこれらを喝取し、

(九)、東洋リノリューム株式会社関係

被告人鈴木、同小倉は共謀のうえ、兵庫県伊丹市伊丹五五八番地所在東洋リノリューム株式会社(以下単に東洋リノリュームまたは会社と略称する)の株式を大量に買集めて前記(一)と同様の方法により不正に利得しようと企て昭和三五年二月一五日ごろ、その株価が一四〇円台の時期から同社株式の買集めを始め、同年同月二三日ごろ、被告人鈴木の内妻岩沢清子名儀三万一、〇〇〇株、翌二四日ごろ同人名義一万四、〇〇〇株、同月二七日ごろ同人名義一、〇〇〇株、同日房総観光大阪支店長浅野栄吉名義二、〇〇〇株と順次名義書換請求をなし、同年同月末日現在にて半額増資の割当を受けたのち、同年七月初めごろ、その株価が一一〇円台の時期からまた買集めを始めて、すでに大量の株式を買集めており、今後もさらに買続ける気配を暗に示すことによって、同会経営者に対し、被告人鈴木が株主総会における株主名簿閲覧謄写請求、商業帳簿類閲覧謄写請求、累積投票請求等の方法を通じ、会社の経営、日常業務の遂行上いかなる妨害を及ぼすかも知れないとの懸念を生ぜしめ、さらに同年同月一六日ごろから同月一九日ごろまでの間数回に亘り、被告人鈴木の前記事務所から電話により伊藤平一を介し、同社代表取締役社長町田信次に対し、会社側の畏怖困惑に乗じ、当時の相場価格よりはるかに高い単価一九〇円での買取りを求め、もしこの申入に応じなければ、更に買集めを続け被告人鈴木の大株主としての権利行使に藉口する嫌がらせによって会社の将来の経営、日常業務の遂行上いかなる妨害が及ぶかも知れない旨を暗示して、右町田等同社経営者を畏怖させたうえ、同日ごろ同人等をして被告人鈴木の持株全部を一株につき一九〇円(当日の株価高値一七〇円、安値一三五円)の割合で買取ることを承諾させ、よって同日大阪市東区安土町一一番地所在野村証券株式会社大阪支店において東洋リノリューム常務取締役戸田賢一から、同会社株式三〇万二、〇〇〇株の売却名下に現金五、七三八万円の交付を受けてこれを喝取した、

という各事実について逐一検討した結果被告人鈴木において、いずれも株式市場において適法に株式を買付けたうえ当該会社からの要請によって当該株式を一括譲渡した事実が認められるだけであって、被告人鈴木等の犯意あるいは恐喝行為などの存在を立証するにいたらなかったものである。

二、総論

検察官は被告人鈴木の前記集中投資方式は房総観光産業株式会社の事業資金を捻出すべく特定の株式銘柄を買占めたうえ、株主権行使に藉口する嫌がらせを行ない会社経営者等を困惑畏怖させることにより買占め株をその経営者あるいは関係先に不当に高価で一括肩代りさせる方法によって不当な利得を収めるものであり、従って起訴にかかる各所為はいずれも右目的の下に当初から充分に計画され計算されて行なわれたものである旨主張するのでまずこの点につき検討する。

被告人鈴木がその主宰する房総観光の事業資金を捻出する必要にせまられ前記集中投資方式を発案しこれを実施するにいたったものであることは、すでに判示第二の四で示したとおりであり、また被告人鈴木において大量に買集めた株式の処分にあたり一括肩代りするのが最も簡易かつ確実に利得しうる方法であると考えて第一次的には右肩代りの方法による処分を目標としていたことは被告人鈴木の自認するところである。しかしながらまず本件起訴各事実を仔細に検討してみるとき判示第三で認定した北陸銀行あるいは大東京火災海上などの場合のとおり必ずしも当初から、その主張するように一括肩代りの方法による処分のみを狙って買付けたものとは明らかに認め難いものがあるばかりでなく、また大蔵事務官鷹野千里作成の有価証券勘定元帳等によればその銘柄の内容、買付株数、買付期間等いずれの点から見ても集中投資方式の対象となったと思われる名古屋精糖、東京麻糸紡、日東商船、豊和工業、山之内製薬、同和火災海上の各銘柄がいずれも市場において通常の方法により売却処分されかつ相当の利得を収めていることからしても検察官の主張するような態様による利得方法のみを買付銘柄のすべてにわたり、はじめから企図したものではないことが明らかである。

それ故被告人鈴木ならびにその弁護人等の主張するように被告人鈴木が集中投資方式により各株式銘柄を買付けるに当っては一括肩代りによる処分方法が最も有利且簡便な利得方法であるとして、この方法にウエイトを置きつつも、必ずしもこれを唯一絶対のものとすることなく、各買付銘柄ごとにその時時の客観状勢例えば当該会社側の反応、株式市場の動き等を見究めて、適宜な処分方法を講じあるいは講じようとしていたものとするのが相当である。

従って被告人鈴木等による本件各起訴事実がすべて当初から一定の意図、目的の下に敢行されたものとする検察官の主張には賛同することはできない。

そこで以下前記各起訴事実ごとにその各事実を中心としてその理由を簡単に示すこととする。

三、各論

(一)、第一電工関係

1. 認定事実

(イ)、被告人鈴木の検察官に対する昭和三五年一一月三〇日付供述調書(九項)

(ロ)、公判調書中証人松原美義(第九回)、同波多野浩一(第九回)の各供述記載

(ハ)、大津正の検察官に対する供述調書

(ニ)、七十七銀行東京支店長小野総三郎および安田信託銀行本店営業部預金課作成の各回答書

(ホ)、東京証券取引所日報写し、ならびに大蔵事務官鷹野千里作成の有価証券勘定元帳(但し後者は第九六回公判調書中証人鷹野千里の供述記載の一部となっているもの、第一二九回公判調書参照)

によれば、被告人鈴木が昭和三四年六月初めごろ、その株価が一〇〇円台の時期から同社株式の買集めを始め、同月二六日ごろまでに三七万四、〇〇〇株を取得するにいたったこと、一方会社側では六月半ばごろ同社株式の出来高の増加に気付き調査の結果被告人鈴木の買集めを知ったこと、そこで同社常務取締役松原美義が同社々長原秀熊の諒解を得たうえ同月二三日ごろ前記舟町所在の被告人鈴木の事務所に同被告人を訪ねて買集めの目的を尋ねたところ、経営参加の意向を洩らしたので、同会社の実情をのべ、その得策でないことを説明したこと、そして結局同被告人よりその取得した同社株式の買取りを求められたこと、その後両者の間に数回にわたり買取価格をめぐって折衝が行なわれ、はじめ被告人鈴木から二〇〇円の価格が出されたが大津正(当時の佐藤大蔵大臣の秘書)の口添えもあってようやく六月二六日同被告人の第一電工持株全部を単価一八五円の割で同会社が買取ることになり、同月二七日、二九日および三〇日の三回に亘りいずれも被告人鈴木の前記事務所で受渡しがなされたことの各事実が認められる。

2. 争点

検察官は被告人鈴木は本件において当初から同会社あるいはその関係先にその買集めた株式を買取らせる目的で買集めたうえ、右目的を達成するため、まず前記松原に対し、会社経営者等の最も恐れる経営参加をほのめかしかつ同人はじめ会社経営者等の困惑畏怖に乗じて当時の市場価格よりはるかに高い価格での買取りを要求するなどの嫌がらせに及んだ以上恐喝罪の成立は明かである旨主張するので以下項を改めて検討する。

3. 争点に対する判断

被告人鈴木がその集中投資方式を実行するにあたっては必ずしも当初から肩代りのみを目的として各会社株式の買集めを図ったものではないことはすでに前掲第九の二で説明したとおりであり、従って右は本件の場合においても同様であると認められる。

そこで問題は右松原に対する被告人鈴木の経営参加の示唆あるいは市場価格を越える価格での買取り要求が果して検察官の主張するような威迫ないし嫌がらせの意味をもつかどうかにある。

(経営参加の示唆)

まず前記松原に対する被告人鈴木の経営参加の示唆の点につき検討すると、さきに掲げたいわゆる「買占め」の形態のうちで経営権の獲得を目的とする乗取りあるいは経営参加の場合それが会社経営者等の地位に直接影響を与えるものであり、従って会社経営者にとって、この形態による買占めの場合が最も脅威となるものであることは推認するに難くない。

しかし乍ら、第八九回公判調書中被告人鈴木の供述記載(陳述書と題するもの、以下単に鈴木陳述書という)ならびに前掲証人松原の供述記載によって右松原および被告人の間柄ならびに被告人鈴木の事務所における面談の状況などを検討すると終戦前被告人鈴木が軍需省航空兵器総局の嘱託として鉄鋼製品等を納入していたころ同省経理局に勤務していた右松原と知り合い、同人から納入代金の支払いなどにつき便宜を計ってもらったりしたことで恩義を感じていたこと、また被告人鈴木の事務所における両者の話し合いも懐旧談にはじまり、やがて松原から第一電工の株式の買集めの意図を尋ねられると被告人鈴木は電線業に興味がある等のべた後、「そういう会社に自分の資力をプラスすれば今後電力業界に伸びられるのじゃないか。そういうことを考えてもいいし、またすでに社長よりも自分の持株の方が多いし俺が社長になって、君が専務になって、一つ君の腕を振うこともいいではないか。」等語ったため、松原から第一電工の業態からいって被告人鈴木が会社経営に加わるのは決してプラスにならない旨忌憚のない意見も述べられ結局持株の買取りの話となったが、終始文字どおり和やかな雰囲気のうちに話し合いがすすめられた状況が認められる。

被告人鈴木が右のように恩義を感じている松原に対し威迫的言動におよんだとするのは同被告人の性格上疑問であるし、また右の発言自体いわば被告人鈴木一流の気にすぎないものと思われる。従って同被告人の前記言辞を目して検察官主張のような恐喝行為と解することはできない。

(高値による買取り要求)

東京証券取引所日報写しによれば被告人鈴木から松原に対し二〇〇円の売り値が示されたと認められる六月二四日の東京証券取引所における同社の株価は高値一四〇円、安値一三一円(なお同日の最終市場価格は一三七円で前日の二円高)であり、なお買取りにいたるまでの高値は一四〇円(六月二四日)であった事実が認められる。

してみると被告人鈴木が初めに示した価格二〇〇円あるいは最終決定取引価格一八五円にしても当時の市場価格を越え相当でないものがあるようであるが、株式の具体的価値ないし価格は市場外における具体的な取引の状況、すなわち株数の多寡、需要の度合など取引当事者間に存する一切の事情によって決められるものであり、市場価格のみを基準としてその相当性を云々するのはあたらない。すなわちたとえば株数が相当程度まとまっていて商法上のいわゆる少数株主権を行使し得る範囲に達している場合、状況によってはこれが一括取引の際市場価格をはるかにこえた価格が決定されたとしてもあながち違法であるとは断ぜられない。(そして被告人鈴木の取得した同社株式数は三七万四、〇〇〇株であり、これは第一電工の全発行株式数のおよそ一二・四%というまとまった株数であったことを指摘しておく)

なおまた商取引において、取引を自己に有利に運ぶためある程度の駈け引きが行われるのはその性質上むしろ当然であって、株式の売買も商取引である以上右の理は同様であり若干の駈け引きが行われたとしても、それが取引上相当の範囲にとどまる限り格別違法視されるべきではない。従って本件における被告人鈴木の価格の提示があるいは客観的に見て高値と言えるにしても、それは取引上の一種の駈け引きと認められ、かつそれも相当性の範囲を逸脱しているものとは考えられない。

それ故右の点をとらえて嫌がらせ行為とする見解もまた採用できない。

(二)、日曹製鋼関係

1. 認定事実

(イ)、被告人鈴木の検察官に対する昭和三五年一一月三〇日付供述調書(第一〇項)

(ロ)、公判調書中、証人黒住康男(第一六回、第二二回)、同大矢根大器治(第一七回、第二二回)、同堀口秀真(第五七回)および同元山富雄(第六三回)の各供述記載

(ハ)、山敷正、増田万次郎、金田泰一の検察官に対する各供述調書

(ニ)、第四銀行東京支店、北越銀行東京支店、埼玉銀行丸の内支店、協和銀行大手町支店、同銀行八重洲通支店、三菱銀行丸ビル支店、日本信託銀行本店営業部、第一信託銀行新橋支店作成の各回答書

(ホ)、東京証券取引所日報写し、ならびに有価証券勘定元帳(前掲第九の三の(一)の1掲記のものと同じ)

(ヘ)、売付報告書(控)および買付報告書(控)の各写し、夫々二通(前同押号の三四)および日曹製鋼臨時取締役会議事録写し(前同押号の三五)

によれば被告人鈴木は昭和三四年六月半ばごろ同社の株価が五〇円台の時期から買集めを始め、同年七月一一日ごろまでには一〇〇万株に達する株式を取得するにいたり、この間六月二二日には六万株、同月二四日にはまず午前中に一四万六、五〇〇株、引続いて同日午后には一万三、〇〇〇株といずれも鈴木一弘名義に名義書換手続を行なったこと、一方被告人鈴木による会社株式の買集めを知った会社役員等は七月一一日臨時取締役会を開いて会社側のとるべき対策をあれこれ協議した結果、この際被告人鈴木の持株を買戻すことおよびその処理方法を同社々長大矢根大器治に一任することとなり、大矢根社長はさらに同社総務部長黒住康男に右取締役会決定の趣旨に副う事案の処理を命じたこと、これよりさき右黒住は同会社の大株主でありかつ友人である明治商会社長増田万次郎に事案の収拾につき相談していたところから、大矢根社長の指示を受けるやさらに右増田に会社側の右意向を伝え、同人の協力を得て堀口秀真、元山富雄を介し被告人鈴木にその持株の買取りを申し入れてその承諾を得てから、引取価格をめぐって数回折衝したすえ七月一三日ようやくその持株一〇〇万株を単価一〇〇円の割合で買取ることになり(ただし名義上曹和金属株式会社が買受人となる)、同日および翌一四日の二回にわたり高井証券株式会社において受渡しがなされたことの各事実を認めることができる。

2. 争点

検察官は本件では被告人鈴木は同社株式を買集めたうえその一部について同被告人名義に名義書換手続を求めただけであり、かつ会社側からの買取りの申入れに応じて持株を譲渡したものであって一見恐喝行為が行なわれていないようであるが、しかしまず被告人鈴木は当初から会社側を困惑畏怖させて買集めた株式を高値で買取らせ不正に利得する目的を有していたものであり、右名義書換手続請求も自己がすでに大量の株式を取得し今後も買続ける気配を暗示して威嚇して肩代りを求める手段としての意味をも含めてなされたものであるから脅迫行為そのものというべきであり、さらにまた会社側の困惑畏怖を充分計算したうえで、商法上禁止されている会社側の自己株取得を迫ったばかりか、肩代り交渉の過程においても連日買集めを続けて株価を益々つりあげ結局自己の希望する高値を押しつけるという積極的行為に及んでいる以上、単に相手方の畏怖している情を知って財物交付を受けるという事例とは形態を異にし恐喝罪の成立は明白である旨主張するので以下項を改めて検討する。

3. 争点に対する判断

まず被告人鈴木が集中投資方式を行なうにあたり当初から肩代りによる取得株式の売却処分方法のみを意図し目的としていたものではなかったことは、すでに前記第九の二で指摘したとおりであって、本件においても同様と思われるので、この点改めて説明するまでもない(ただここでは日曹製鋼は当時資本金一七億四、七二〇万円、発行済み株式数三、四九四万四、〇〇〇株であって資本金株式数共に多くいわゆる少数株主権を取得することは、きわめて困難であり、また同社は業績の好転による復配の兆しがあったことを指摘するにとどめておく)。

そこで問題は結局前記名義書換手続請求および買取り交渉の過程における被告人鈴木の言動がはたして検察官の主張するような積極的な恐喝行為と認められるものかどうかにある。

(名義書換手続請求の点)

被告人鈴木がその取得した株式のうち二一万九、五〇〇株を前後三回にわたりいずれも同被告人名義に名義書換手続請求をしたことは前示諸証拠により明らかであるが、証人黒住、同大矢根の各供述記載によれば同会社の決算期は毎年六月および一二月であり、七月一日から八月三一日に行なわれる株主総会の終了時までは名義書換停止期間となっており(一月一日から二月末の株主総会終了時までも同様)、いわゆる基準日が六月三〇日(一二月三一日)であったこと、またその手続の際には相当多量の株式の名義書換という以外にはことさら異常と目すべき要求はなかったことの各事実を認めることができる。してみるとまず右名義書換手続請求は株主としての権利を保全し確定するに必要な当然の措置であり、また被告人鈴木の集中投資方式も愛知トヨダ以降次第に本格化し、日曹製鋼の株式買付と並行して第一電工、浅野物産の各株式買付を行なっており資金面でも相当逼迫していたことが推認されるから、あわせて右株券を担保として金融機関から貸付けを受けると云う金融上の必要に出たものとみるのが相当である。もっとも右名義書換手続請求が自己の買集めを会社側に認識させる意味をも含んだものと言えるにしても、これはあくまでも副次的かつ結果的なものであるに止まり、右判断を左右するものではない。それ故右名義書換請求をもって、検察官の主張するような嫌がらせ行為であると断ずることはできない。

(買取り交渉の過程における被告人鈴木の言動)

まず相場より不当に高価での買取りを申し入れたとの点につき検討すると、前掲各証拠とくに証人元山の供述記載、東京証券取引所日報写しによれば、日曹製鋼において被告人鈴木からその持株の買取りを決定し、増田万次郎の斡旋で、結局元山富雄を通じて被告人鈴木に買取りを申入れたと認められる七月一〇日前後の東京証券取引所における同会社の株価は安値六八円(七月九日)、高値七八円(七月一三日)であったのに、被告人鈴木がはじめ提示した価格はこれらを一〇〇円位上廻るものであった事実が認められる。

してみると被告人鈴木がはじめに提示した価格あるいは最終決定価格(一〇〇円)にしても当時の相場価格を越えるものがあるが前記第九の三の(一)第一電工の項で説明したとおりの理由により必ずしも違法かつ不当のものとは認められない。(ここでは被告人鈴木の取得した同社株数は一〇〇株であり、これは日曹製鋼の全発行済株式数のおよそ二・八%に該る比較的まとまった株数であったことを指摘しておく。)

つぎに被告人鈴木が買取り交渉中において、連日買集めを続けて株価をつり上げたとの点について検討するに、前記のように日曹製鋼側において増田の斡旋により堀口、元山等を通じ被告人鈴木に一括買取りの申入れをし交渉が開始されたと思われる七月一〇日前後において被告人鈴木が同社株式をなおも買続けていた事実は認められるけれどもこの間の同社株価の動きをみると七月八日七〇円、九日七三円、一〇日七六円、一一日七五円、一三日七五円(いずれも最終価格)となっていることは前記東京証券取引所日報写しにより明らかであって検察官の主張するような不当な株価のつり上げは認めることはできない(検察官は七月一一日から交渉が開始され、同月一三日に交渉が妥結したと主張するようであるが、右主張によればなおさらのことである)。

なお以上に認定したように本件肩代り行為は実質上日曹製鋼が買取ったものであり、これは商法上いわゆる自己株式の取得(商法一二〇条)に触れる脱法行為といわなければならないが、右買取りの申入れは日曹製鋼側からなされ被告人鈴木においてこれに応じたまでであって、同被告人が自己株式取得を会社側に強要したことを認めるに足る証拠はない。

(三)、野崎産業関係

1. 認定事実

(イ)、被告人鈴木の検察官に対する昭和三五年一一月三〇日付供述調書(一一項)

(ロ)、公判調書中、証人野崎二郎(第一七回、第二二回)、同宇佐美信郎(第一七回)、同宮沢健介(第一九回、第二二回)、および同横井広太郎(第二六回)の各供述記載

(ハ)、橋山慎六の検察事務官に対する供述調書

(ニ)、北海道拓殖銀行東京支店および東京銀行本店各作成の回答書

(ホ)、東京証券取引所日報写しならびに有価証券勘定元帳(前掲第九の三の(一)の1掲記のものと同じ)

によれば被告人鈴木が昭和三四年七月二〇日ごろ同社の株価が九〇円台の時期から買集めを始め同年七月三一日ごろまでには二九万株に達する同社株式を取得するにいたり、この間七月二七日四万九、〇〇〇株、同月二八日二万九、五〇〇株、同月二九日六、五〇〇株、同月三一日には六万三、〇〇〇株といずれも鈴木一弘名義に順次名義書換手続を行なったこと、一方被告人鈴木による同社株式の買集めを知った同会社社長野崎二郎はじめ役員等はその対策を協議したが早急な出来ごとでもありまだ結論を得るにいたらなかったこと、右の事態を憂慮した野崎はかねて取引のある名古屋精糖株式会社に赴き、同社常務取締役八木惣吉に事情を打ち明けて解決策を相談したこと、そして右八木を通じて野崎等の困惑を知った同社社長横井広太郎が斡旋に乗り出すこととなり、結局横井の口ききで野崎産業において被告人鈴木の持株を買取ることとなり、同月三一日前記被告人鈴木の事務所で被告人鈴木と右野崎との間で買取り価格等につき話し合いが行なわれ、その持株二九万株を単価一三〇円の割合で買取ることとなり同日東京都中央区日本橋通一丁目六番地所在の野崎産業本店において受渡しがなされたことの各事実が認められる。

2. 争点

検察官は本件でも被告人鈴木の行為は前記日曹製鋼の事案と同様であって一見恐喝行為が行なわれていないようであるが、右日曹製鋼の箇所(第九の三の(二)の2)で指摘したと同様当初から特定の意図目的を有し、これを達成するため積極的行為に及んでいるのであるから恐喝罪の成立は明らかである旨主張する。

3. 争点に対する判断

検察官の主張は右のとおりであるから、本件においても日曹製鋼の箇所(第九の三の(二)の3)で示した判断がそのままあてはまり、かつこれで足りるものと思われる(なお被告人の取得した株数二九万株は同社の全発行済株式数の約一一%にあたり、まとまったものであることを指摘しておく)。

しかしただ買取り交渉の過程における被告人鈴木の言動にやや特異なものが存するので以下この点について検討する。

(買取り交渉の過程における被告人鈴木の言動)

すなわち前記鈴木陳述書ならびに前掲証人野崎二郎、同横井広太郎の各供述記載によれば被告人鈴木の前記事務所における同被告人および野崎との買取り交渉に際しては両者とも暗暗裡にすでに横井が斡旋と同時に示した一三〇円という価格に従う意向であったこと、にもかかわらず被告人鈴木は野崎の面前を憚らず電話で、野崎産業の株式につき一三二円あるいは一三五円という右一三〇円をこえる価格による買付けを指示していた状況が認められるのであって、同被告人のこうした言動はあるいは野崎に対する威圧手段といわれるかもしれないが、しかし前掲証人野崎二郎の供述記載ならびに東京証券取引所日報写しによれば右交渉は短時間ですみ、かつその価格も比較的簡単に横井の示した一三〇円に決まったこと、当日市場での同社株価は高値一四一円、安値一三〇円(終り値一三〇円)であったことの各事実も認められ、以上の点に徴すれば被告人鈴木の言動にはやや穏当を欠くものがないではないが、その真意とするところは、むしろ右価格での取引が決して不当のものではない旨を強調するいわば示威的行為と解されるのであって、威圧手段とまで見るべきものではない。

(四)、浅野物産関係

1. 認定事実

(イ)、被告人鈴木の検察官に対する昭和三五年一一月三〇日付供述調書(一項)

(ロ)、被告人小倉の検察官に対する同年同月二三日付(二項までのもののうち二項)および同年同月二八、二九日付(四項)各供述調書

(ハ)、公判調書中証人前島豊純(第二二回、第二三回)の各供述記載

(ニ)、大津正、青木三郎、竹本喜夫の検察官に対する各供述調書

(ホ)、東京銀行人形町支店作成の回答書

(ヘ)、東京証券業協会作成の相場表写し、前掲有価証券勘定元帳

(ト)、浅野物産の臨時取締役会議事録写し一部(同前押号の三七)

によれば被告人鈴木が昭和三四年七月二〇日頃同社の株価が一〇〇円前後の時期から買集めを始め同年七月三一日ごろまでには二八万株をこえる同社株式を取得するにいたり、この間七月二七日四万五、〇〇〇株、同月二八日三万株、同月三〇日五万七、五〇〇株といずれも鈴木一弘名義に順次名義書換手続を行なったこと、一方被告人鈴木による同社株式の買集めを知った同社役員等は七月三一日臨時取締役会を開いて、対策を協議した結果この際被告人鈴木の持株を買戻すことにし同社取締役前島豊純に交渉を一任することにしたこと、なお慎重を期し関係官庁に一応相談してはどうかとの意見もあって右前島および同社参事長一潔らが大蔵省に大津正(当時大蔵大臣秘書)を訪ね事情を打明けて相談したこと、その際大津から被告人小倉を紹介され前島から同被告人に対し被告人鈴木の持株の買取りを申し入れて被告人小倉の承諾を得、買取り価格をめぐって折衝したすえ、同日ようやくその持株二七万八、〇〇〇株を単価二三四円の割合で買取ることとなり(ただし名義上は休眠中の子会社泰明交易株式会社が買受人となる)同日東京都千代田区丸の内一丁目六番地所在浅野物産本店(ただし当時)および八月六日同都中央区日本橋兜町一丁目一番地所在大東証券株式会社においてそれぞれ受渡しがなされたことの事実が認められる。

2. 争点

検察官は本件でも被告人鈴木の行為は前記日曹製鋼等の事案と同様一見恐喝行為が行なわれていないようであるが、右日曹製鋼の箇所(第九の三の(二)の2)で指摘したと同様当初から特定の意図、目的を有しこれを達成するため積極行為に及んでいるのであるから恐喝罪の成立は明らかである旨主張する。

3. 争点に対する判断

検察官の主張は右のとおりであるから本件においても日曹製鋼の箇所(第九の三の(二)の3)で示した判断があてはまるものと思われる(なお被告人鈴木の取得した株数は二七万八、〇〇〇株であって、これは浅野物産の全発行済株式数のおよそ八・六%にあたりまとまったものであることを指摘しておく)。

ただ本件においてはその株価の動きなどの面にやや特異なものが認められるのでこの点について以下検討する。前掲相場表写しならびに有価証券勘定元帳によれば、浅野物産において被告人鈴木の持株の買取りを決定し大津を通じてその意向が被告人鈴木側に伝わったと認められる昭和三四年七月三一日の同社株式の市場価格はその最終価格において一八九円という前日の最終価格にくらべ五〇円高となっていること、また被告人鈴木において同日なおも同社株式を買続けていたことの各事実が認められることから、これは被告人鈴木が浅野物産側で買取りを申し入れてきた事実および同社役員等の困惑した状況を知り、一層その畏怖心をあおろうともくろんだ積極的な嫌がらせ行為とも見られるのである。ところでまず右のように買取り交渉に入ったと見られる段階における同社株式の買付行為はいわば相手側の弱味につけこんだものというべきで穏当を欠くきらいがあるが、しかし他面株価の維持をはかるとともに取引上自己を優位な立場に置くための手段という被告人鈴木の弁疏も無視できないと考えられ証券取引上の駈引として是認し得ないものではない。しかし何分本件においては右のとおりその株価の上昇がいちじるしいものがあるのでこの点なお検討の必要がある。

証券市場における株式の価格は基本的には需給関係によって決せられとくに小型株であって浮動株のきわめて少ないいわゆる品薄株の場合、あるいは買集めのため極度に品薄となっている場合にはわずかの刺激(買もの)がたちまち株価の急騰をもたらすことはしばしば見受けられるところであるし、また買集めの噂が立ったときにはこれに便乗するといわゆる提灯買が行なわれますます株価の急騰をもたらすこともまた通例であるから、このような株価の急騰が終局的には被告人鈴木の行為に帰せられるにしても、同被告人が積極的にこれを意欲し意図したものとは断じ得ないものがある。(一般的にいって大量に特定の株式を取得しようとする場合には、相場の実勢とかけ離れた株価の高騰は資金量等の関係から必ずしも望ましいことではないこと、そしてまたこのような株価の高騰はむしろ会社側においてこれを嫌い買取りの意思を撤回する危険も多くかえってマイナスとなりかねないことを指摘しておく)。なお同被告人において積極的に意欲し意図したものでないにせよ少くともこれを予測したことはまず疑を容れる余地がないからこの点同被告人に道義上非難すべきものがあるといえようが、これをもって直ちに違法であるとするのはあたらない。

(五)、帝国ピストンリング関係

1. 認定事実

(イ)、被告人鈴木の検察官に対する昭和三五年一一月二三日付供述調書(二〇項)

(ロ)、公判調書中証人佐藤敏雄(第二四回)、同米田秀次郎(第二五回)、同六鹿健治(第二五回)、同元山富雄(第六三回)および同水谷文一(第六四回)の各供述記載

(ハ)、千賀鉄之輔、横山儀弘、神戸捨二、吉田裕彦の検察官に対する各供述調書

(ニ)、冨士銀行兜町支店作成の回答書

(ホ)、東京証券業協会作成の相場表写しおよび前記有価証券勘定元帳

(ヘ)、帝国ピストンリング取締役会議事録綴一綴(前同押号の四二)、六鹿証券名入りの封筒一枚(前同押号の四四)、領収証一枚(前同押号の四五)および六鹿証券作成の有価証券売約定帳ならびに同買約定帳各一冊(前同押号の四七、四八)

によれば被告人鈴木が昭和三四年八月中旬ごろ同社の株価が一〇〇円台の時期から買集めを始め、同年九月一日ごろまでには七二万株に達する株式を取得するにいたり、この間八月一九日には一三万七、〇〇〇株、翌二〇日には七万四、五〇〇株、同月二四日には五万株、同月三一日には二万四、〇〇〇株といずれも鈴木一弘名義に順次名義書換手続を行なったこと、一方被告人鈴木による会社株式の買集めを知った会社役員等は、従来の事例から被告人鈴木は結局買戻しを図っているものと推測して、はじめはこれに強硬な態度でのぞむ意向を示していたが、そのうち被告人鈴木の持株が次第に増加して行く気配を感じて不安となり、にわかにその持株を買戻そうとの方針に変って、八月三一日ごろ同社代表取締役会長佐藤敏雄等が知人の六鹿証券株式会社代表取締役会長六鹿健治に右のような会社役員等の意向を伝えて同人の協力を得、大亜産業株式会社代表者水谷文一および元山富雄等を介し被告人鈴木にその持株の買取りを申し入れてその承諾を得たのち、引取り価格をめぐって数回折衝のすえ、九月一日ようやくその持株七二万一、五〇〇株を単価二〇〇円の割合で買取ることとなり、(ただし形式上は同社の幹事会社である角丸証券株式会社が買受けることとした)、同月三日東京都中央区日本橋兜町二丁目一番地所在六鹿証券株式会社において受渡しがなされたことの各事実が認められる。

2. 争点

検察官は本件でも被告人鈴木の行為は前記日曹製鋼等の事案と同様一見恐喝行為が行なわれていないようであるが、右日曹製鋼の箇所(第九の三の(二)の2)で指摘したと同様当初から特定の意図目的を有しこれを達成するため積極的行為に及んでいるのであるから恐喝罪の成立は明らかである旨主張する。

3. 争点に対する判断

検察官の主張は右のとおりであるから本件においても日曹製鋼の箇所(第九の二の(二)の3)で示した判断があてはまるものと思われる。またその余の点については浅野物産の箇所(第九の三の(四)の3)ですでに説明したとおりであるからここでは繰り返さない(なお被告人鈴木の取得した同社株式数約七二万一、五〇〇株は同社の発行済株式数のおよそ一六%にあたりかなりまとまったものであることを指摘しておく)。

(六)、愛知機械関係

1. 認定事実

(イ)、被告人鈴木の検察官に対する昭和三五年一一月三〇日付供述調書(六項)

(ロ)、公判調書中証人河村市治(第二二回)、同箕輪伝次郎(第五五回)の各供述記載

(ハ)、裁判所の証人小田邦美、同柏原明夫および同三宅兼松に対する各尋問調書

(ニ)、東京証券取引所日報写しならびに前記有価証券勘定元帳

によれば、被告人鈴木はまず昭和三四年七月二〇日ごろ一旦若干の愛知機械株式を買付けたが、ほどなくその大半を市場において売却しその後同年八月半ばごろからふたたびその株価が九〇円台の時期から同社株式の買集めを始め、同年九月末までに二七万七、五〇〇株の株式を取得したが、この間九月一六日より同月三〇日まで前後八回にわたりその取得した株式全部につきいずれも河村市治名義書換手続を行なったこと、一方会社役員等は右河村市治名義の株式が実質上被告人鈴木の持株であることを知り部長連絡会(同社では役員は皆各部長を兼ねているので、実質上の役員会である)などにはかって会社側のとるべき措置を協議検討した結果、同社専務取締役小田邦美にその処理等を一任したこと、そして小田としては被告人鈴木の真意を確実には把握できなかったが、新聞雑誌等から知り得たこれまでの同被告人の行動等からして肩代り請求の手段に出ることが充分予想され、なお当時発生した伊勢湾台風によって工場が被害を受け、同社役員等はその再建のため大童で右役員等の間ではこの際むしろ被告人鈴木の持株を買取りたい意向が強かったことから小田はその友人である中部経済新聞社々長三宅兼松が被告人鈴木と懇意であることを知り、三宅に会社側の右意向を伝え同人を介して同年一〇月一日ごろ被告人鈴木にその持株の買取り方を申し入えてその承諾をえ、会社側の希望する単価一一五円の割合で二七万七、五〇〇株を買取ることとなり(ただし名義上は小田が買受人となった)同月二日前記丸栄ホテルでその受渡しがなされたことの各事実を認めることができる。

2. 争点

検察官は本件においても被告人鈴木は同会社の株式を買集めたうえ河村市治名義に名義書換手続を求めただけであり、日曹製鋼等の場合と同様一見恐喝行為が行なわれていないようであるがしかし前記日曹製鋼の項で指摘したと同じく当初から会社側を困惑畏怖させて買集めた株式を高値で買取らせ不正に利得する目的を有しており、予め会社側の困惑畏怖を計算したうえでまず河村市治名義に名義書換手続をし、頃合いを見計らって河村をして会社側に自己の買集めを告知させてその勢威を示すとともに暗に肩代りを申し入れさせているので恐喝罪の成立は明らかである旨主張するのでこの点につき検討する。

3. 争点に対する判断

まず被告人鈴木が当初から一括肩代りによる取得株式の売却処分方法のみを意図し目的としたものではなかったことは前記第九の二で説明したとおりであってこのことは本件においても同様であるといえる。

そこで問題は結局河村市治の所為が果して検察官の主張するような積極的意図を含むものであったかどうかという点にある。

なるほど河村は被告人鈴木とはいわば竹馬の友であり房総観光の取締役にも名をつらね、郷里の岐阜県下に居住しながらも時折上京しては被告人鈴木の事業面の助言をしたりしていたほか、被告人鈴木の株式取引についても数社の名義書換手続請求に赴くなどその一部を手伝っていることが前掲証人河村市治の供述記載から明らかであるが、一方前記鈴木陳述書ならびに右河村市治の供述記載によって、河村と会社側との折衝の過程をみると、被告人鈴木は愛知機械の株式を買付けるにいたったものの、名義書換手続をするに際し(同社の決算期は毎年三月、九月でいわゆる基準日は三月三一日ならびに九月三〇日である)、愛知トヨダの事案から自己の名を出すことを差控え河村市治の承諾を得てその名義を用いていたこと、しかるにその後の九月二〇日ごろ当時同会社の常務取締役であった杉岡静憲が河村の自宅を訪れ、いろいろの交換条件をあげて熱心にその持株の買取り方を申し入れてきたため河村はやむなく被告人鈴木の買付けにかかるものである旨打ち明けた後、杉岡の依頼に応じて被告人鈴木の意向をたずねることを引受けて同人に事情を話し同被告人からその持株全部を会社に売渡してもよいという回答を得てこれを杉岡に伝えたという状況が認められる(杉岡静憲はその後死亡し同人の供述を求める手段はない。小田邦美、柏原明夫の各証言によればこの間の状況が省略され直接河村が杉岡に働きかけたように思われるが、結局は右の趣旨に解され、右河村の証言とは矛盾しない)。

してみると前記の河村と被告人鈴木との間柄などから見れば河村が被告人鈴木の指示を受けて会社側に積極的に働きかけてきたものではないかとの一応の疑いが持たれるが、右に認定した河村と杉岡との間の交渉の経過に徴すれば右の疑念は氷解したものといえよう。

(七)、新光製糖関係

1. 認定事実

(イ)、被告人鈴木の検察官に対する昭和三五年一一月三〇日付供述調書(二項)

(ロ)、公判調書中証人松本亨(第四一回)の供述記載

(ハ)、裁判所の証人辻正夫、同米谷甚三郎および同尾崎福一に対する各尋問調書

(ニ)、柳原慎郎、幸田経彦、清水武三郎の検察官に対する各供述調書

(ホ)、大和銀行船場支店作成の回答書

(ヘ)、東京証券業協会作成の相場表写しならびに前記有価証券勘定元帳

によれば被告人鈴木が昭和三四年一一月初めごろその株価が一八〇円台の時期から同社株式の買集めを始め同月三〇日ごろまでに一〇万余株を取得するにいたったこと、一方会社側では同時期ごろからの同社株式の株価、出来高の変化に気付きその原因について調査したが確認できるにいたらなかったところ、一一月二六日松本亨が秋山利太郎(当時東洋精糖株式会社々長)の紹介状をもって新光製糖本店を訪れ、松本亨から被告人鈴木が同社の株式を買集めている旨の説明があったのち、解決方斡旋の労をとりたいとの申し入れがあったこと、そこで同社々長米谷甚三郎はじめ同社主要役員等はとりあえず同社総務部長尾崎福一に命じて松本の真意を打診させることとなり尾崎はその意を受けて松本の宿泊先の大阪市所在の大阪グランドホテルを訪ねて同人と面談し、雑談のうちに同人の人物、立場等を観察したが容易にこれをつかみ得なかったこと、そのうち会社内部でもこの際松本の斡旋申し入れを受けようとの意見が強まり結局一一月二八日尾崎から松本に会社側の意向を伝えて同人に協力方を依頼したこと、そして松本を介して被告人鈴木と折衝した結果、その持株一〇万七、六〇〇株を単価四〇〇円で買取ることとなり(なお同社の依頼により子会社の朝日商事株式会社が買受けた)、同月三〇日大阪市南区北久太郎町にある料亭「吉兆」で受渡しがなされたことの各事実が認められる。

2. 争点

検察官は被告人鈴木は本件において当初から同会社あるいはその関係先にその取得する同社株式を一括して買取らせる目的で買集め、松本亨と連絡して打合せのうえ、会社側の困惑畏怖に乗じて、右松本をして当時の市場価格よりはるかに高い価格での買取りを要求させ、かつこれに応じないときの買増を暗示させるなどの嫌がらせ、威迫行為に及んだ以上恐喝罪の成立は明らかである旨主張する。

3. 争点に対する判断

被告人鈴木がその集中投資方式を実行するに際しては必ずしも当初から一括肩代りによる取得株式の処分方法を企図していたものではないことは、すでに第九の二で説明したとおりであって右は本件の場合でも同様と思われる。

そこで問題は被告人鈴木と松本との関係すなわち松本が果して検察官主張のように被告人鈴木と連絡して打合わせのうえ、その指示を受けて会社側に働きかけたものであるかどうかとの点にある。

(被告人鈴木と松本との関係)

検察官はその主張の根拠として、まず松本がしばしば被告人鈴木の信頼と尊敬を受けている旨発言し、あるいはそのころ同社に郵送されてきた雑誌「ザ、クェスション」の記事を参考として被告人鈴木の人物等を説明しかつこれを弁護する口振りを示していたことのほかに、被告人鈴木の動静を知悉していた模様であったこと、なおそのころ被告人鈴木と同宿したことの諸点をあげているが、そのいずれも松本が被告人鈴木の意向を受け、その指示によって動いたことを裏付けるにいまだ充分でなく、その他に右事実を立証するにたりる証拠はないのであって、被告人鈴木が弁解するように結局松本は被告人鈴木の株買集めを利用して松本自身の利を図る独自の立場において行動したものとの疑が濃厚である。したがって松本が会社側との折衝の際あるいは被告人鈴木の買増しを暗示するなど多少威迫の言辞を用いたとしてもこの責を直ちに被告人鈴木に帰することはできない。

なお前掲各証拠によれば被告人鈴木が松本を介してはじめに示した買取り価格は単価五〇〇円でありまた会社側では結局単価四〇〇円で買取ることになったことが認められ、これらはいずれも当時における同社株式の市場価格(昭和三四年一一月中の大阪証券市場における最高価格は三六〇円)をこえるものがあるが、これが必ずしも不当のものとは認められないことはすでに第九の三の(一)の3で説明したとおりである(ここでは被告人鈴木の取得した新光製糖株式数一〇万七、六〇〇株は同社の発行済株式数のおよそ一・八%に該る比較的まとまったものであることを指摘しておく)。

(八)、フジ製糖関係

1. 認定事実

(イ)、被告人鈴木の検察官に対する昭和三五年一一月三〇日付供述調書(三項)および同年一二月八日付(一項但し被告人鈴木に対する関係でのみ)各供述調書

(ロ)、被告人小倉の同年一二月五日付(九項)および同月七日付(四項)各供述調書

(ハ)、公判調書中証人松沢郷司(第四〇回)、同元山富雄(第六三回)の各供述記載

(ニ)、裁判所の証人山口昇に対する尋問調書

(ホ)、池田二郎(二通)、中山二郎、市川要、井野茂夫(二通)の検察官に対する各供述調書

(ヘ)、静岡銀行東京支店、東海銀行東京支店、大和銀行日本橋支店各作成の各回答書

(ト)、東京証券業協会作成の相場写し

(チ)、領収証写し計三通(前同押号の一ないし三)

によれば被告人鈴木が昭和三五年六月はじめごろ、その株価が三一〇円台の時期から同社株式の買集めを始め、七月八日ごろまでに一五万株を取得するにいたっていたこと、一方会社側では六月一〇日ごろから同社株式の出来高の増加を知ってその原因につき調査を進めていたが、鈴木某の買占めという噂以外には詳しい事実を掴むことができなかったこと、ところが六月一七日ごろ東洋経済興信所員の市川要が東京都中央区八重洲二丁目五番地不二ビル所在の同社本部を訪れ、榊原正三社長等に面会を求めてきたので常務取締役の松沢郷司が応待したところ同社創立者の山下一族の関係などにつき説明を求められたこと、そこで同社では東洋経済興信所につき調査したところ被告人鈴木が関係していることが判明し世評どおり鈴木一弘の買集めが行なわれているとの疑いを強めたこと、その後同社株式の出来高がますます増加の一途をたどり六月二日過ごろには被告人鈴木の買集めた株数はすでに一〇万株位とも噂されるようになり同月末ごろ榊原社長の義兄の山口昇(前記愛知トヨタ社長)を介し被告人鈴木の意向を打診したところ、被告人鈴木は単価一、〇〇〇円で売渡すことを希望していることが判ったこと、ところで会社役員等としては、初めは強硬な意見が多かったが、次第に買戻すのが得策であるとの意見が強まり七月八日ごろ右山口に仲介を依頼したが、そのころ本件には被告人鈴木のみならず右翼の元山富雄が関係しているとの情報が入ったため、山口は仲介を断り、右の情報をもたらし中央興業株式会社々長井野茂夫に仲介を依頼することとなり、井野は元山富雄と連絡をとり同人を介して被告人鈴木と折衝した結果会社側が単価八九〇円(ただしうち四〇円は元山等仲介者が同被告人の同意を得て取得)で買取ることを承諾し(形式上は子会社のフジ商事株式会社が買受人となった)、七月一一日および同月一四日の二回にわたり前記野村証券株式会社において受け渡しがなされたことの各事実が認められる。

2. 争点

検察官は被告人鈴木は本件においては当初から同会社あるいはその関係先に、その買集めた同社株式を高価で買取らせ不当に利得する意図目的で買集めたうえ、まず頃合いを見計って東洋経済興信所員の市川を調査の名目で同会社東京本部に赴かせ、さらに会社側の困惑畏怖に乗じて当時の市場価格をはるかに上廻る価格での買取りを要求するなどの行為に及んでいるもので恐喝罪の成立は明らかであると主張するのでこの点検討する。

3. 争点に対する判断

被告人鈴木がその集中投資方式を行なう場合において必ずしも当初から一括肩代りのみを目的として各会社株式の買集めを図ったものではないことはすでに第九の二で説明したとおりであって、本件においても同様であると思われる。

そこで問題は結局前記東洋経済興信所員の調査および高値による買取り要求が果して恐喝の手段としての嫌がらせないし威迫行為と認め得るかどうかにあると思われる。

(東洋経済興信所所員の調査)

フジ製糖の株式の出来高がふえ、市場では鈴木一弘の買占めの噂が立ち、会社側でもこれを耳にするようになった六月一七日ごろ東洋経済興信所々員の市川が同会社本部を訪ね、榊原社長等に面会を求めたこと、会社側では松沢常務が応待に出たところ会社創立者の山下一族の関係につき説明を求められ松沢から一応の血族関係を説明したこと、そこで会社側では同興信所につき調べてみたところ被告人鈴木が関係していることが判明したことは前記認定のとおりであり、さきにのべた被告人鈴木と同興信所との関係、その調査の時期からみて被告人鈴木が直接あるいは間接に指示して市川を同会社本部に赴かせたものではないかとの疑いが濃いけれども、これを断ずるにたる証拠はない。しかも前掲証人松沢の供述記載、市川要の検察官に対する供述調書によれば、市川は同興信所総務部からの指令書に基づいて同社の信用調査に赴いたが、右指令書には一般信用調査事項のほかに同社役員相互の関係を調査する特別指令があったこと、市川は右指令に従い、応待した松沢に対し山下一族の関係を尋ね、松沢は回答を翌日に留保して市川を帰したこと、松沢は興信所につき調べてみたところ被告人鈴木が関係していることを知ったので、翌日市川に対し山下一族の一応の血族関係を説明した後、調査の目的について反問したが何等の回答も得られなかったことの各事実が認められるだけであって、市川から松沢に対し被告人鈴木の株買集めに対する会社側の意向をたゞす等の積極的な言動があったとは認められないし、その他嫌がらせと認めるに足りる状況も見当らない。

(高値による買取り要求)

前掲東京証券業協会作成の相場表写しによれば、山口昇が会社側から依頼を受けて、被告人鈴木の意向を打診したと思われる七月初ごろ同社株価(店頭価格気配)は高値五八三円(七月二日)安値五一〇円(六月三〇日)であり、なお買取るにいたるまでの高価は六二五円(七月四日)であった事実が認められる。してみると被告人鈴木が初めに前記山口に示した価格(一、〇〇〇円)あるいは最終決定価格(八九〇円)にしても当時の相場価格を相当越えてはいるが前記第九の三の(一)第一電工の項で説明したと同様の理由により、必ずしも違法かつ不当のものがあったとは認められない(ここでは被告人鈴木の取得した同社株式数の一五万株はその発行済株式数の三・七五%に該りかなりまとまった株数であった点を指摘しておく)。

なお前掲松沢の証言によれば株券受渡しの際被告人小倉に起訴状記載のような言動があったことは認められるけれども、これは大半の受渡しのすんだ受渡し第二回目の際株数のわずかな不足に対する会社側の不満の言動に対し発せられたものと認められるにすぎず、これを目して直ちに恐喝の実行々為であると断ずることは困難である。

(九)、東洋リノリューム関係

1. 認定事実

(イ)、被告人鈴木の検察官に対する昭和三五年一二月一日付供述調書(六項)

(ロ)、被告人小倉の検察官に対する同年同月二三日付供述調書(一項乃至六項)

(ハ)、公判調書中証人浅野栄吉(第八一回)の供述記載

(ニ)、受命裁判官の証人松田信治、同戸田賢一、同伊藤平一に対する各尋問調書

(ホ)、裁判所の証人三枝勁介、同古沢美夫に対する各尋問調書

(ヘ)、保田茂、三枝勁介の検察官に対する各供述調書(但し三枝勁介のものは第四項のみ)

(ト)、三和銀行伊丹支店作成の回答書

(チ)、東京証券取引所日報写し、前記有価証券勘定元帳

(リ)、株式名義書換請求書一冊(前同押号の五三)、株価出来高一覧表一冊(前同押号の五四)、有価証券取引書一通(前同押号の五五)および領収証一通(前同押号の五六)

によれば被告人鈴木が昭和三五年二月半ばごろその株価が一四〇円台の時期から同社株式の買集めを始め同年二月末までに四万八、〇〇〇株を取得したが、これよりさき同年一月二八日の同社株主総会において半額増資が決議され二月末日現在の株主に対し新株が割当てられることとなり、被告人鈴木もその取得した株数に見合う新株式を取得したがまもなく旧株式のほとんどすべてを市場において売却し、その後同年七月初めごろその株価が一一〇円台の時期からふたたび同社株式の買集めを行ない七月一九日ごろまでには三〇万二、〇〇〇株を取得するにいたったこと、そしてこの間二月二三日、二四日、二七日の三度にわたり計四万八、〇〇〇株につきうち四万六、〇〇〇株は岩沢清子名義にその余の二、〇〇〇株は房総観光産業株式会社大阪支社長浅野栄吉名義にそれぞれ名義書換手続がなされていたこと、一方会社側では二月半ばごろからの同社株価の動きなどから何人かによる買集めがなされているのではないかとの懸念を抱いて調査していたおりとて右のような名義書換手続が行われた事実から被告人鈴木の手によるものであることがわかり、対抗策として野村証券を通じて防戦買を行なったこと、しかしいわゆる権利落後株価の動きも一応おさまり、また前記岩沢清子名義の旧株も市場で売却された事実があったことからひとまず安心したものの相変らず警戒を怠らないでいたところ、七月に入ってまたもや株価の上昇を見るにいたり、まもなく被告人鈴木の買集めによることが判明したため、ここに再度野村証券を通じてはげしく防戦買を行なったため、これが被告人鈴木の買集めと重なり同社株価の上昇はいちじるしく、七月一八日には報告銘柄の指定を受けるにいたったこと、そのころ右のような状況を知った丸十証券取締役伊藤平一から野村証券を通じて会社側に仲介の申出があったこと、会社側としては対抗策として一応防戦買を行なったものの折を見て被告人鈴木側と適当な方法で折り合おうという意向を固めかねて野村証券にその旨相談していたから右伊藤の申し出を容れ野村証券を通じて伊藤に被告人鈴木側との折衝を依頼することとなったこと、そして伊藤はかねて面識のある被告人小倉に対しまずその持株の買取り方を申し入れその同意を得て直ちに買取価格の折衝に入ったが、はじめ被告人小倉から当時の市場価格を上廻る二三〇円の価格の提示があったが、その後数回値引き交渉を重ねて一九〇円まで値下げさせたこと、会社側では野村証券を介して右の経過の報告をうけ、七月一九日役員一同で検討した結果右価格での買取りに応ずることになり(形式上は子会社の亀井株式会社が買受けることとした)その旨伊藤を介して被告人鈴木側に伝え、同日野村証券大阪支店において受渡しがなされたことの各事実が認められる。

2. 争点

検察官は本件においても被告人鈴木は同会社の株式を買集めたうえ、その取得した株式の一部を被告人鈴木の関係者名義に数回にわたって名義書換手続を求めただけであって、表面上直接的な脅迫言動が行なわれていないようであるが、しかし日曹製鋼等の項でも指摘したように被告人鈴木は当初から買集めた株式を会社あるいはその関係先に高値で一括買取らせ不正に利得する目的を有しており、まず会社側を困惑畏怖させる手段として名義書換手続請求をしたうえ、会社側の困惑畏怖を熟知しながら不当に高値での買取りを要求し、もしこれに応じなければ、さらに買集める旨申向けるという積極的行為に出ている以上恐喝罪の成立は明白であると主張するので、この点検討する。

3. 争点に対する判断

まず被告人鈴木が集中投資方式を行うにあたり当初から肩代りによる取得株式の一括売却処分方法のみを目的としていたものでないことはすでに前記第九の二で説明したとおりであって、このことは本件においても同様であるといえる。そこで問題は結局前記名義書換手続請求および買取り交渉の過程における被告人小倉の言動がはたして検察官の主張するような恐喝行為といわれ得るかどうかにある。

(名義書換手続請求の点)

昭和三五年二月下旬同会社に対し三回にわたり被告人鈴木の関係者名義に計四万八、〇〇〇株の名義書換手続請求がなされたことは前掲証拠上明白であるが、前記証人町田に対する尋問調書によれば同会社では昭和三五年一月二八日の株主総会において一部無償つきの半額増資を行うことを発表し、二月末日現在の株主に対し新株が割当てられることとなったことが認められるから、二月下旬における前記名義書換は新株の割当てを受ける上に必要不可欠のものであったことは明らかであり、右名義書換手続請求をもって威迫手段とすることはできない。(なお被告人鈴木の検察官に対する昭和三五年一一月二三日付供述調書によれば、同被告人は昭和三五年二月一五日ごろ渡欧し同年四月二七日ごろ帰国した事実が認められるが、同社の買集めおよび名義書換手続請求も被告人鈴木の指示によりまたは同被告人の意を体して浅野栄吉が行なったことは疑いない。)

(買取り交渉の過程における被告人小倉の言動)

まず前掲各証拠とくに証人伊藤に対する尋問調書によれば、野村証券を通じて東洋リノリュームから被告人鈴木側との交渉を依頼された伊藤が被告人小倉に対し電話で交渉を始めたと認められる七月一五日の東京証券取引所における同社株価は安値一三四円、高値一四五円であったのに、被告人小倉がはじめ提示した価格は二三〇円であり右株価を大幅に上廻るものがあったこと、これに対し伊藤は市場価格を中心として決めるべき旨を主張し、数回にわたって値引き交渉をすすめ結局七月一八日当日の市場価格(高値一八三円、安値一六八円)に近い一九〇円まで値下げさせた事実が認められる。

それ故被告人小倉がはじめに提示した価格あるいは最終決定価格にしても、当時の市場価格を上廻っていて相当でないものがあるようであるが、すでに前記第九の三の(一)第一電工の項で示したとおりの理由により本件の場合においても、相当性の範囲を逸脱しているものとは認められない(ここでは被告人鈴木の取得した株数は東洋リノリュームの発行済株式数四〇〇万株の約七・五%に該ることを指摘しておく)。

つぎに前掲被告人小倉の検察官に対する供述調書および証人伊藤に対する尋問調書によれば被告人小倉は伊藤から被告人鈴木の意向につき打診を受けた際、同社の将来は有望であるから、二五〇円まで買い進む予定である旨述べているが、これはただ被告人鈴木の意向をそん度しての発言にすぎないと思われ、右発言をもって買取り要求に応じなければさらに買占めを続けるという威迫行為とは認め難いし、その他被告人小倉において右以外の威迫的言辞を弄したものと認めるにたる証拠は見当らない。

なお伊藤が被告人小倉と折衝を行なった過程において、同社株価が急騰を続けていた状況が前掲東京証券取引所日報写しによって認められるところではあるけれども、三枝勁介の検察官に対する供述調書(四項)によれば、この間東洋リノリュームにおいて野村証券を通じてかなりの株数を買付けた事実が認められるから、株価の急騰の点をとらえて直ちに被告人鈴木の買付行為のみにもとづくものとみることもできない。

右各事実についてはいずれも刑訴法三三六条に従い主文掲記のとおり被告人鈴木および同小倉に対しそれぞれ無罪の云い渡しをすることとする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 守谷芳 裁判官 東徹 裁判官武藤冬士巳は、転任のため署名捺印することができない 裁判官 守谷芳)

別表一

損益計算書

自昭和34年4月1日

至昭和35年3月31日

〈省略〉

別紙二

ほ脱所得の内容

自昭和34年4月1日 至昭和35年3月31日

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

有価証券内訳表

〈省略〉

別紙三

税額計算書

〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例